【現地レポート】普門院(さいたま市大宮区)|小栗上野介(忠順)の菩提寺と首塚の伝承、一族の墓の場所・駐車場・御朱印

さいたま市大宮区の普門院(ふもんいん)は、2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公・小栗上野介忠順の家、小栗家の代々の菩提寺です。境内には市の史跡に指定された小栗一族の墓が並び、小栗の首を家臣がひそかに運んで葬ったという「首塚」の言い伝えも残っています。

この記事は、これから普門院を訪ねる方のための現地ガイドです。私たち夫婦が実際に歩いて確かめた、受付と御朱印の場所、小栗家の墓所への行き方、駐車場やトイレ、そして行く前に知っておくと何倍も楽しめることをまとめました。

何も刻まれていない自然石の墓
何も刻まれていない自然石の墓
目次

普門院の基本情報

所在地 埼玉県さいたま市大宮区大成町2-402
受付・御朱印 境内に入って右手の奥にある受付
御朱印 お気持ちで(私たちは500円をお納めしました)
駐車場 あり・20台ほど。広くて停めやすい
トイレ あり(男女別。きれいでした)
所要時間 墓所と境内の遺物を見て、私たちは20分ほどでした
小栗家の墓所 本堂に向かって左手の墓地の中。入口に墓所の地図あり
史跡 さいたま市指定史跡「大成領主小栗忠政一族の墓」

行く前に知っておきたいこと

なぜ小栗家の菩提寺が大宮にあるのか

小栗家の始まりは、徳川家康に仕えた小栗忠政です。忠政は姉川の戦いで家康の危機を救い、家康から信国の槍を与えられて「又一(また一番)」と名乗るよう言われた人物です。その功で、武蔵国足立郡大成村(いまの大宮区大成町)550石を含む2,550石の領地を与えられ、元和2年(1616年)に亡くなると、この普門院に葬られました。

以来、普門院は小栗家の菩提寺になりました。上野介忠順は本家の子孫で、忠政を始祖とあおぎ、普門院に特別な親しみを持っていたようです。慶応4年(1868年)、領地の権田村(いまの群馬県高崎市倉渕町)へ向かう途中にも普門院に立ち寄り、家宝の信国の槍を預けて別れを告げたと、境内の説明碑に刻まれています。

首塚と「何も刻まれていない墓石」

小栗は慶応4年閏4月6日、権田村の水沼河原で、取り調べもないまま新政府軍に斬首されました。普門院には、その首を家臣がひそかに運んで葬ったという言い伝えがあり、境内にはその場所とされる自然石の墓があります。

ところが、この墓石には何も刻まれていません。お寺の方は、「さすがに首は持ってこられないでしょう。あったとしても髷くらいではないか」と話してくれました。なお、群馬県館林市の公式情報では、小栗の首は館林の法輪寺に葬られ、のちに村人が取り戻して倉渕の東善寺に移したとされています。どちらが正しいと言い切れる材料はありませんが、両方の言い伝えがあることを知ってから訪ねると、この石の見え方が変わるはずです。

運営者のひとこと
行く前に、この自然石のことはぜひ知っておいてください。なぜ何も刻まれていないのか。当時の小栗は「賊軍」「逆賊」とされた人です。きっと、名前を刻むことができなかったのでしょう。それにくらべて、倉渕の終焉の地に立つ石碑には「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と刻まれています。何も刻めなかった石と、はっきりと「罪なくして」と刻んだ石。両方を見ると、しびれるものがあります。

境内の歩き方

境内に入ったら、まず右手の奥にある受付へ。私たちはここで御朱印をいただきました。そのとき、お寺のスタッフの方が「境内を案内しましょう」と声をかけてくださり、小栗家の墓所まで案内していただきました。とても親切で、歓迎してくださる雰囲気でした。私たちはちょうどよいタイミングだったのかもしれません。

案内がなくても大丈夫です。境内を入って正面の本堂の左手に墓地があり、その入口に小栗家の墓所の地図があります。墓地の中は凸凹や高低差がなく、歩きやすい道でした。

小栗一族の墓所(さいたま市指定史跡)

墓地の一角に、小栗家の墓石がずらりと並んでいます。本家・分家あわせて30基あり、さいたま市の史跡「大成領主小栗忠政一族の墓」に指定されています(さいたま市公式)。墓所の手前には、昭和62年に当時のご住職が建てた説明碑があり、忠政から上野介までの小栗家の歩みが刻まれています。

小栗家の手前に眠る、万次郎ゆかりの長崎奉行

小栗家の墓所の手前には、長崎奉行を務めた牧志摩守義制の墓もあります。説明板によると、牧は漂流してアメリカで学び帰国したジョン万次郎を自ら取り調べ、土佐へ帰した人物です。また、オランダ商館長クルチウスが持ってきた、ペリー来航を前もって知らせる文書を受け取り、老中・阿部正弘に送っています。

2027年の大河は小栗、2028年の大河はジョン万次郎が主人公の「ジョン万」です。次の大河につながる人のお墓が、小栗家のすぐそばにあるのです。

境内の錨・大砲・機雷

境内の一角には、海軍ゆかりの錨・大砲・機雷が置かれています。説明板によると、昭和9年(1934年)に小栗の招魂碑を建てたとき、当時のご住職が海軍省に願い出て、海軍大臣が「小栗上野介は海軍の功労者である」として、横須賀鎮守府から各1個を下付したものだそうです。

お寺の方によると、この大砲や機雷がどういういきさつでここにあるのかは、つい最近まで、お寺でもまったく分かっていなかったそうです。

運営者のひとこと
横須賀に製鉄所を造り、のちの日本海軍の土台を築いた小栗が、ここで海軍の錨と大砲に囲まれているのは感慨深いものがあります。

境内の雰囲気

普門院のすぐ横は保育園(幼稚園)で、私たちが訪ねたときは、運動会の練習をする子どもたちの黄色い声援がたくさん聞こえていました。墓所というと静まり返った場所を想像しますが、ここはにぎやかで、よい感じのにぎやかさでした。小栗家の人たちも、子どもたちの声を聞きながら眠っているのだと思うと、なんだかほっとします。

よくある質問

Q.小栗家の墓はどこにありますか?
A.境内に入って正面の本堂の左手にある墓地の中です。墓地の入口に小栗家の墓所の地図があるので、それを見て向かいます。

Q.御朱印はいただけますか?
A.境内に入って右手の奥にある受付でいただけます。お気持ちで、私たちは500円をお納めしました。

Q.駐車場はありますか?
A.あります。20台ほど停められて広く、停めやすいです。

Q.トイレはありますか?
A.あります。男女別できれいでした。

Q.墓地の中は歩きやすいですか?
A.凸凹や高低差がなく、歩きやすい道でした。

Q.小栗の首は本当にここにあるのですか?
A.普門院にはそう伝わっていますが、墓石には何も刻まれていません。お寺の方は「あったとしても髷くらいではないか」とのこと。館林市の公式情報では、首は館林の法輪寺から倉渕の東善寺へ移されたとされています。

あわせて回るなら

おすすめは、雑司ヶ谷霊園 → 普門院 → 東善寺の順です。東京・雑司ヶ谷で小栗家累代の墓(と、ジョン万次郎の墓)に手を合わせ、大宮の普門院で小栗家の始まりと首塚の伝承にふれ、群馬・倉渕の東善寺で小栗の最期と本当のお墓を訪ねる。小栗の一生を、生まれた家の墓から眠る地まで順にたどることができます。

雑司ヶ谷霊園 東京都豊島区南池袋4-25-1。小栗家の墓とジョン万次郎の墓。無料駐車場あり(8〜10台ほど)、トイレは管理事務所の近く
東善寺 群馬県高崎市倉渕町権田169。小栗が眠る寺。遺品館と裏山の本墓。東善寺の現地レポート
普門院の歴史をもっとくわしく
この記事は、これから訪ねる人のための案内です。普門院と小栗家の歴史そのものは、姉妹サイト「幕末歴史ガイド」の【現地取材】大宮・普門院 ― 小栗家の菩提寺と首塚の伝承でくわしく解説しています。
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