【実録】戦国の城から幕末の五稜郭へ ― 鉢形城・軽井沢・諏訪・龍岡五稜郭を巡る1泊2日

埼玉・寄居の戦国の要害から、信州・諏訪へ。関東の名城鉢形城を歩き、避暑地・軽井沢で信州そばと人力車を楽しみ、諏訪湖畔の湯宿に一泊。翌日は湖に浮かぶ高島城、信濃国一之宮の諏訪大社、そして幕末の星形城郭龍岡五稜郭まで。戦国・宿場・信仰・洋式築城が一度に楽しめる、車での一泊二日。運営者(佐藤秀信)が妻とめぐった記録です。

この旅のいちばんの目当ては、最後に寄った龍岡五稜郭でした。五稜郭は日本に二つしかありません。函館の五稜郭は有名ですが、もう一つのほうを一度この目で見てみたい、というのが出発点です。そこに、妻が楽しめる軽井沢と、諏訪の温泉宿を組み合わせました。

目次

この旅の行程

このコースを実際に組むなら PR

宿と車は、土日と連休の1か月前には埋まります。行く日が決まったら、先に押さえてください。

長野の宿を探す

じゃらんで探す Yahoo!トラベルで探す

車を借りる

長野駅・松本駅で借りると、そのまま行程に入れます。

長野のレンタカーを比較する

※ 当サイトはアフィリエイトプログラムに参加しています。料金・空室状況は各予約サイトでご確認ください。

※この欄のリンクはアフィリエイト広告(PR)です。

※この時刻は標準的な滞在時間から組んだモデル的な目安で、当日の実際の記録ではありません。移動時間も一般的な所要時間です。
時刻 スポット・行程 見どころ・メモ
09:30 関東の要害・鉢形城 埼玉・寄居
移動:車で約2時間  
12:30 軽井沢を歩く 旧軽銀座・信州そば・人力車
移動:車で約1時間半  
14:10 諏訪湖畔の湯宿へ 上諏訪温泉
宿泊:一泊  
09:00 諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮城」高島城  
移動:車で約20分  
10:20 信濃国一之宮・諏訪大社を詣でる 上社前宮・下社秋宮
移動:車で約1時間  
12:00 幕末の星形城郭・龍岡五稜郭 佐久

1日目

関東の要害・鉢形城(埼玉・寄居)

旅の始まりは、埼玉県寄居町の鉢形城。現地の案内板によれば、文明8年(1476年)に山内上杉氏の家宰・長尾景春が築いたと伝わる城で、背後は荒川の断崖、前面は深沢川の深い谷という天然の要害を巧みに利用しています。のちに、この地を治める藤田康邦が、小田原から関東へ進出した後北条氏の北条氏邦を娘婿に迎え、氏邦の大改修で関東屈指の平山城となりました。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めでは、前田利家・上杉景勝らの北国軍に包囲され、一月余りの籠城の末に城兵の助命を条件に開城したそうです。昭和7年に国の史跡に指定され、日本100名城にも数えられます。復元された石積みの土塁や、土橋・空堀が、戦国の緊張感を今に伝えていました。

歩いてみると、思っていたよりもずっと広大な敷地でした。多くの城がそうであるように、すぐ横を川が流れています。断崖と川に守られた強固な城ですが、同時に景観もとてもよい場所です。これだけの城なので、櫓のひとつでも再建してくれたらいいのに、と思いました。

軽井沢を歩く — 旧軽銀座・信州そば・人力車

関越道から上信越道へ抜けて、避暑地・軽井沢へ。もとは中山道の宿場町で、明治期に外国人宣教師らに“見いだされ”て以来、日本を代表する避暑地となった土地です。昼は名物の信州そばを手繰り、賑わう旧軽井沢銀座を散策。さらに、レトロな人力車に揺られて、苔むした石垣の小径や、明治創業のクラシックホテル万平ホテルの前を巡りました。緑の木漏れ日のなか、車夫さんの語りを聞きながらの散策は、避暑地らしい優雅なひとときでした。

軽井沢を入れたのは、妻のためです。人力車に乗せてあげたかったのと、軽井沢の町の雰囲気を味わってほしかったのと。妻はコーヒーが好きなので、旧軽井沢銀座ならきっとおいしいコーヒー屋さんがあるだろう、という読みもありました。

人力車では、車夫さんが自分の結婚のなれそめを話してくれました。一人で軽井沢に出てきて車夫になり、町になじもうとしていたら、同じ町に住む方と出会ったそうです。その方も自営業で、仕事に理解があったのだとか。

諏訪湖畔の湯宿へ(上諏訪温泉)

一日目の締めくくりは、諏訪湖のほとりの上諏訪温泉。枯山水の庭を配した宿に落ち着き、まずは足湯でひと息つきました。夜は信州の食材を盛り込んだ会席に舌鼓を打ち、浴衣でくつろぎました。翌朝の膳もていねいで、旅の疲れがすっかりほどけました。

料理は、正直に言えばまあまあでした。信州牛が出たと思います。妻は「おいしかった」と言っていました。わが家はバイキング形式が苦手なので、一品ずつ出てくる会席だったのはありがたかったです。

泊まった宿:上諏訪温泉の湯宿(鷺乃湯)。諏訪湖にほど近く、翌日の高島城・諏訪大社めぐりの拠点にちょうどよい立地。夕食は信州の会席、朝食もしっかりいただけました。

2日目

諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮城」高島城

二日目は、諏訪のシンボル高島城から。案内板によれば、豊臣秀吉の家臣日根野高吉が設計し、文禄元年(1592)に着工、慶長3年(1598)に完成した城で、かつては諏訪湖の水が城際まで迫り、まるで湖に浮かぶように見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれました。慶長6年(1601)以降は諏訪氏が城主となり、明治まで約270年、十代にわたる諏訪の居城となりました。天守は明治の廃城で取り壊されたが、昭和45年(1970)に市民の熱意で復興されました。水堀に木橋が架かる姿は、今も“浮城”の面影を伝えています。

天守は鉄筋コンクリートの復興ですが、外から見ると木目がきれいなお城でした。昔は湖畔のすぐそばにあったのでしょうが、今は諏訪湖からだいぶ離れています。諏訪氏は一度は武田信玄に滅ぼされましたが、江戸時代になって再びこの地に戻ってきました。旧領に返り咲いた大名は、けっこう珍しいと思います。

信濃国一之宮・諏訪大社を詣でる(上社前宮・下社秋宮)

諏訪といえば諏訪大社。全国に約二万社ある諏訪神社の総本社で、諏訪湖をはさんで上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の四つの宮からなる、日本最古級の神社のひとつです。七年に一度の勇壮な御柱祭でも知られます。今回は上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮の四つの宮をすべて回り、それぞれで御朱印をいただきました。写真は上社前宮と下社秋宮のものです。秋宮では、竜の彫刻が見事な神楽殿と大注連縄、青銅の狛犬、竜の口から水が注ぐ手水が迎えてくれました。門前町へと下る石畳の参道も風情があります。

四つの宮をすべて回ってみて、いやー、歴史を感じました。山から大木を落とす「木落し」で知られる御柱祭の、その御柱に使われる木について説明を受けました。御柱はご神木ですからね。

幕末の星形城郭・龍岡五稜郭(佐久)

旅の締めくくりは、佐久市の龍岡五稜郭。三河奥殿藩の藩主松平乗謨(のりかた)が、幕末の動乱に応じて信州佐久へ居館を移すべく、西洋の稜堡(りょうほ)式築城法で築いた星形の城で、元治元年(1864)着工、慶応3年(1867)竣工しました。函館の五稜郭とともに、日本に二つしかない洋式の星形城郭です。しかも乗謨は、明治に入って大給恒(おぎゅうゆずる)と改名し、佐野常民らと日本赤十字社の前身「博愛社」を創設した人物でもあります。星形の水堀と石垣が今も残り、郭内には明治以来の小学校がひっそりと建っています。模型や俯瞰図で見ると、その星形がよく分かります。

規模は小さいですが、ちゃんと五角形でした。お濠も小さいながら、しっかり五稜郭の形で見られてよかったです。ただ、できれば函館のように、上から星形を見てみたかった。

城跡に学校が建っているのは、よくあることです。場所によっては県庁が建っていることもあります。でも、できることなら城の遺構は公園などにして残してほしい、と思いました。

実際に歩いて感じたこと

この一泊二日は、日本の城の“かたち”の移り変わりを一度にたどる旅でもありました。断崖と川を頼みにした戦国の鉢形城、湖を堀とした近世の高島城、そして西洋の兵学で設計された幕末の龍岡五稜郭—防御の思想が時代とともに大きく変わっていくのが、現地に立つとよく分かります。あいだに、避暑地・軽井沢の優雅な散策や、諏訪大社の凛とした空気、諏訪湖畔の湯がはさまることで、歴史一色になりすぎない、ほどよい緩急も生まれました。埼玉から信州へ、車があれば無理なく回れます。城好きにも、家族旅行にもおすすめできる、欲張りで満足度の高いコースでした。

この旅でいちばんよかったのは、やはり諏訪大社と龍岡五稜郭です。

鉢形城・高島城・龍岡五稜郭の御城印は、三つともいただけました。わが家は日曜と月曜で出かけることが多いので、月曜休みの施設では御城印がもらえないこともあります。今回はどこも大丈夫でした。駐車場やトイレで困ることもありませんでした。

この旅の道のり

  1. 09:30関東の要害・鉢形城埼玉・寄居車で約2時間
  2. 12:30軽井沢を歩く旧軽銀座・信州そば・人力車車で約1時間半
  3. 14:10諏訪湖畔の湯宿へ上諏訪温泉一泊
  4. 09:00諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮城」高島城車で約20分
  5. 10:20信濃国一之宮・諏訪大社を詣でる上社前宮・下社秋宮車で約1時間
  6. 12:00幕末の星形城郭・龍岡五稜郭佐久

※この時刻は標準的な滞在時間から組んだモデル的な目安で、当日の実際の記録ではありません。移動時間も一般的な所要時間です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次