小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ、1827〜1868)。幕末の幕臣で、横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)の建設を進めた人です。そして2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公でもあります。
この人の足跡は、いくつもの土地に分かれて残っています。生まれた東京、つくった横須賀、斬られた群馬。そして首の行方をめぐって、館林とさいたまにも伝えが残ります。このページでは、自治体の公式サイトで確認できたことと、運営者が現地で見たものを、分けて書きました。写真はすべて運営者が撮影したものです。
2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」の放送が決まっています
- 放送
- 2027年1月から(NHK 大河ドラマ)
- 主人公
- 小栗忠順(小栗上野介)
- 主演
- 松坂桃李
- 出典
- ステラnet(NHK財団が運営)
※作品名と主人公は、館林市・横須賀市の公式サイトでも確認できます。くわしい放送日程はNHKの発表をご確認ください(確認日 2026年9月)。
小栗上野介とは、どんな人だったか
横須賀市の公式サイトは、小栗忠順をこう紹介しています。
2027年の大河ドラマの主人公として選ばれた横須賀にゆかりのある人物、小栗忠順もまた、ヴェルニーとともに横須賀製鉄所の建設と日本の近代化に大きく貢献しました。
一方で群馬県側の記録は、まったく違う顔を伝えます。慶応四年(一八六八)、小栗は隠棲していた上野国権田村(現在の高崎市倉渕町)で捕らえられ、斬られました。養子の又一も、翌日に高崎城下で斬首されています。
近代化を進めた人が、近代のはじまりに殺された。この落差が、そのまま土地の落差になっています。
1. 生まれた場所 ― 東京
小栗上野介屋敷跡(生誕の地)
- 所在地
- 東京都千代田区神田駿河台1-8
- アクセス
- JR御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口から徒歩約3分
- 現地の様子
- 千代田区の観光公式サイトによれば、「YWCAビルの一帯は、江戸末期の幕臣・小栗上野介の屋敷がありました」とされています
- 出典
- Visit Chiyoda(千代田区の観光公式サイト)
※碑や説明板があるかどうかは公式サイトに記載がありません。現在はビルが建つ市街地です。

小栗家累代之墓(雑司ヶ谷霊園)
- 所在地
- 東京都豊島区南池袋4-25-1(雑司ケ谷霊園)
- アクセス
- 地下鉄有楽町線 東池袋駅から徒歩7分/副都心線 雑司が谷駅から徒歩8分/都電荒川線「都電雑司ヶ谷」から徒歩2分/JR池袋駅東口から徒歩20分
- 管理事務所
- 8:30〜17:30(書類受付は16:30まで)/年末年始(12月29日〜1月3日)は休み/駐車場は8:30〜17:00
- 現地の様子
- 墓石の正面に「小栗家累代之墓」と大きく刻まれています。台石にも文字が刻まれていますが、雨の日だったこともあり読み取れませんでした
- 出典
- 東京都公園協会 TOKYO霊園さんぽ/豊島区 公式
※霊園の公式サイトに著名人の一覧はなく、この墓所についての個別の記載は見つけられませんでした(確認日 2026年9月)。小栗上野介本人の墓は群馬県の東善寺です(下記3章)。お参りの際は、他の墓所のご迷惑にならないようご配慮ください。
2. つくった場所 ― 神奈川・横須賀
小栗が幕府に建設を進言し、フランス人技師ヴェルニーとともに実現させたのが横須賀製鉄所です。その跡地に面してヴェルニー公園があり、二人の胸像が並んで立っています。

ヴェルニー公園(小栗・ヴェルニー胸像)
- 場所
- 神奈川県横須賀市。JR横須賀駅のすぐ近く
- あるもの
- 小栗・ヴェルニー胸像。説明板に生没年(1827〜1868)が記されています
- 関連行事
- 横須賀市は「ヴェルニー・小栗祭式典」を実施しているほか、ヴェルニー公園ガイドツアーも開催しています(開催日・料金は年度によって変わります)
- 出典
- 横須賀市 公式
3. 終わった場所 ― 群馬・高崎市倉渕
江戸を離れた小栗が移り住んだのが、上野国権田村。いまの高崎市倉渕町です。ここに東善寺があります。





小栗上野介忠順の墓(東善寺)
- 所在地
- 群馬県高崎市倉渕町権田169
- あるもの
- 高崎市公式によれば、境内に父子と家臣らの「供養墓」があり、裏山に本墓が所在します。境内には「小栗公遺品館」があり、遺品や資料を収蔵しています
- 出典
- 高崎市 公式「小栗上野介の関連史跡」
※遺品館の公開時間・拝観料は公式サイトに記載がありません。お出かけ前に東善寺へお問い合わせください。
顕彰慰霊碑(終焉の地)
- 所在地
- 群馬県高崎市倉渕町水沼の河原
- あるもの
- 小栗の終焉地に建てられた碑。碑文に「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」と刻まれています
- 出典
- 高崎市 公式


観音山小栗邸跡
- 所在地
- 群馬県高崎市倉渕町権田3584
- あるもの
- 高崎市公式によれば、江戸から隠棲した小栗は東善寺を仮住まいとして田畑や用水路を開発しました。屋敷は完成に至らず、礎石が現存。用水路は今も近隣の田畑の水源として使われています
- 出典
- 高崎市 公式
※現地は山林のなかです。足元の悪い日は無理をしないでください。
そのほか、高崎市公式が挙げている関連史跡
- 姉妹観音
- 高崎市倉渕町岩氷19-1付近。家臣 塚本真彦の家族が逃亡中に亡くなった幼女2名の慰霊像
- 小栗又一源忠道の墓
- 高崎市下斎田町335。小栗の養子で、ともに隠棲。高崎城下で斬首(享年21)。村民が阿弥陀堂跡に埋葬し、供養しています
4. 首の行方 ― 館林と、さいたま
ここが、このページでいちばん複雑なところです。小栗の首がどこへ行ったかについては、伝えがひとつではありません。
館林・法輪寺(館林市の公式サイトに記載があります)

法輪寺
- 所在地
- 群馬県館林市朝日町
- いきさつ
- 処刑後、小栗と養子の首級が館林城に送られました。総督による首実検ののち、秋元家の菩提寺である泰安寺から依頼を受け、法輪寺の墓所に埋められたと伝わります
- その後
- 一周忌に地元の有志が首級を掘り出し、権田村の東善寺へ移葬しました。この「盗掘」に、館林藩士 塩谷良翰が同情的な対応をしたとされています
- あるもの
- 令和6年12月、館林市が「小栗上野介忠順」の説明看板を法輪寺に新設しました
- 出典
- 館林市 公式「小栗上野介忠順と館林」
館林城に首が送られ、館林の寺に埋められ、館林の人が掘り返して群馬の山奥へ返した。権田の墓に父子が並んでいるのは、この人たちがいたからです。
さいたま・普門院(首塚と伝わる自然石があります)

普門院(ふもんいん)
- 所在地
- 埼玉県さいたま市大宮区大成町2-402
- 現地で見たもの
- 境内に、文字が一切刻まれていない、丸みを帯びた自然石の塚があります。小栗の首を家臣が持ち出して埋めたという「首塚」の伝承が伝わります。刻銘がないのは、当時 新政府軍の目を憚ったためと言われています。塚の左には、笠のついた小栗家の墓石が並んでいます
- 左の墓石群
- さいたま市指定史跡「大成領主小栗忠政一族の墓」(昭和41年9月3日指定)。旗本小栗忠政は戦国期の武将で、江戸時代初頭に大成村550石を含む2,550石を拝領しました。本家・分家あわせて30基に及ぶ一族の墓が普門院にあります
- ほかに
- 境内には昭和初期に建てられたという「小栗上野介招魂碑」、大砲と錨のモニュメントもあります
- 寺の情報
- 普門院には市指定天然記念物のタラヨウとキャラがあり、所在地はさいたま市の文化財紹介で確認できます
- 出典
- さいたま市 公式「大成領主小栗忠政一族の墓」/同「普門院のタラヨウ」
首の行方について、正直に書いておきます。
館林・法輪寺のいきさつは館林市の公式サイトに記載があります。いっぽう普門院の首塚は現地に伝わる伝承で、さいたま市の公式サイトには、この塚についての記載を見つけられませんでした(確認日 2026年9月)。さいたま市は、同じ境内にある「大成領主小栗忠政一族の墓」を市指定史跡にしていますが、その説明のなかに小栗上野介忠順や首塚への言及はありません。
つまりどちらか一方が正しいと断じられる材料を、私たちは持っていません。非業の死をとげた人には、こうした伝えが各地に残ります。両方あることを、そのまま書いておきます。
車でまとめて回るなら。ここに挙げた場所のうち、雑司ヶ谷・普門院・倉渕は車でつなぐと1泊2日でまわれます。宿・駐車場・休みの曜日・概算費用までまとめたモデルコースを別に用意しました。
一覧でみる
| 場所 | 市区町村 | 何があるか | アクセスなど | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 小栗上野介屋敷跡(生誕の地) | 東京・千代田区 | 屋敷があった一帯(現在は市街地) | 御茶ノ水駅から徒歩約3分 | 千代田区 観光公式 |
| 小栗家累代之墓 | 東京・豊島区 | 雑司ケ谷霊園の「小栗家累代之墓」 | 都電雑司ヶ谷から徒歩2分 | 東京都公園協会 |
| ヴェルニー公園 | 神奈川・横須賀市 | 小栗・ヴェルニー胸像 | JR横須賀駅の近く | 横須賀市 公式 |
| 東善寺 | 群馬・高崎市 | 供養墓・裏山の本墓・小栗公遺品館 | 倉渕町権田169 | 高崎市 公式 |
| 顕彰慰霊碑(終焉の地) | 群馬・高崎市 | 「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」の碑 | 倉渕町水沼の河原 | 高崎市 公式 |
| 観音山小栗邸跡 | 群馬・高崎市 | 礎石が現存。用水路は今も使用中 | 倉渕町権田3584 | 高崎市 公式 |
| 姉妹観音 | 群馬・高崎市 | 家臣の幼い娘2人の慰霊像 | 倉渕町岩氷19-1付近 | 高崎市 公式 |
| 小栗又一源忠道の墓 | 群馬・高崎市 | 養子・又一の墓(享年21) | 下斎田町335 | 高崎市 公式 |
| 法輪寺 | 群馬・館林市 | 首級が埋められた寺。市が令和6年12月に説明看板を新設 | 朝日町 | 館林市 公式 |
| 普門院 | 埼玉・さいたま市 | 首塚と伝わる自然石(※市公式に記載なし)/市指定史跡「大成領主小栗忠政一族の墓」30基/小栗上野介招魂碑 | 大宮区大成町2-402 | さいたま市 公式(天然記念物の紹介) |
情報の確認について。このページの所在地・アクセス・いきさつは、自治体や公園協会の公式サイトで確認できたものだけを出典つきで載せています(確認日 2026年9月)。公式で確認できなかったこと(普門院の首塚の伝承など)は、「伝わります」「記載を見つけられませんでした」と書き分けました。
開館時間や料金、行事の日程は変わります。とくに東善寺と普門院は民間のお寺です。拝観の可否や時間は公式に記載がありませんので、お出かけ前に各寺へご確認ください。墓所へのお参りは、ほかの方のご迷惑にならないようご配慮ください。
写真はすべて運営者が現地で撮影したものです。雨の日でしたので、石がどれも濡れて黒く写っています。
