群馬県安中市の安中城跡(あんなかじょうあと)は、中山道の宿場町・安中にあった安中藩の城の跡です。井伊家、堀田家、板倉家などが城主をつとめ、幕末には「日本のマラソン発祥」とされる安政遠足(あんせいとおあし)もここから始まりました。
ただ、先に正直に書いておきます。安中城跡には、お堀も石垣も門も、土塁すら残っていません。わたしは2026年10月に車で訪れましたが、本丸跡の場所も分からず、人に聞いてようやくたどり着きました。この記事は、これから安中城跡へ行く方が迷わないための現地ガイドです。行って感じたことを、そのまま書きます。

安中城跡の基本情報
| 訪れた日 | 2026年10月 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県安中市安中。本丸跡のあたりは安中市文化センターや安中小学校のある一帯 |
| 残っているもの | お堀・石垣・門・土塁は残っていない。「本丸跡」の案内標識と、いくつかの石碑 |
| 見学 | 城跡は無料。いつでも歩ける |
| 復元された建物 | 旧安中藩郡奉行役宅・武家長屋(2館共通で大人210円、高校生以下無料。9時〜17時、12〜2月は16時30分まで。月曜休館〔祝日の場合は翌平日〕) |
| 車 | 本丸跡の近くに、施設の広い駐車場があり、停めてよいようだった。郡奉行役宅にも数台分の駐車場がある |
| 案内 | 「安中城址 本丸跡」へ向かう案内看板は、現地にしかない。行く前に地図で場所を確かめておくと安心 |
行く前に知っておきたいこと
本丸跡への案内看板がない。わたしは人に聞いた
いちばん困ったのは、本丸跡の場所が分からないことでした。「安中城址 本丸跡」へ向かう案内看板が、現地のすぐそばにしかないのです。なので、それを目指して自力ではたどり着けませんでした。わたしは郡奉行役宅の受付に入って「本丸跡はどちらですか」と聞き、教えてもらいました。(中の見学はせず、道を聞いただけです。)
本丸跡のあたりは、いまは安中市文化センターや安中小学校がある一帯です。カーナビや地図アプリで、先に文化センターの場所を確かめておくと迷わずに済むと思います。
全部車で回れる。本丸跡は停める場所が広い
わたしたちは、新島襄旧宅、郡奉行役宅と武家長屋、本丸跡と、全部車で回りました。本丸跡は停める場所が広く、なにかの施設の駐車場でしたが、停めてよいようでした。
遺構は残っていない。城下町の景観を楽しむつもりで
お堀も、石垣も、門も、土塁すらありません。城跡を期待して行くと、拍子抜けすると思います。わたしも、お堀や石垣、門といった遺構を少しでも残しておいてほしかったなあ、と思いました。
ただ、武家屋敷のような風景や景観は、この町にちゃんと残っています。茅葺きの武家長屋や郡奉行役宅、新島襄旧宅など、城下町の空気を感じながら歩く場所だと思って行くのがよいと思います。



城跡で見られるもの
旧安中藩郡奉行役宅と武家長屋
城跡の中に、安中藩の郡奉行(村々を治める役人)の役宅と、藩士が住んだ茅葺きの武家長屋が復元されています。安中城跡でいちばん「城下らしさ」を感じられる場所です。2館共通で大人210円、高校生以下は無料。月曜休館です。わたしは受付で道を聞いただけで、中は見学していませんが、時間のある方はぜひ入ってみてください。
安政遠足の碑と「覗き石」 ― ゴールの碓氷峠が見える石
城跡でいちばん目立っていたのは、安政遠足の碑でした。安政2年(1855年)、安中藩主・板倉勝明が、藩士の心身を鍛えるために安中城から碓氷峠の熊野神社まで走らせたもので、「日本のマラソン発祥の地」とされています。いまも毎年5月に「安政遠足 侍マラソン」が開かれています。
碑の近くには「覗き石」という石があり、石の中にあいた丸い穴をのぞくと、その先がゴールの碓氷峠を指しているのだそうです。正直に言うと、石碑を見ていても、城跡そのものより「マラソン発祥の地」を前面に押し出している気がしました。



安中藩はどんな藩だったのか(現地に説明がないので)
ふつうの城跡なら、「◯◯門跡」や、藩の歴史をまとめた説明板が立っているものです。ところが安中城跡では、この藩がどういう藩で、どんな幕末を送ったのかを説明する看板が見当たりませんでした。そこで、ここで簡単にまとめておきます。
- 城の始まり:永禄2年(1559年)、安中忠政が築いたと伝わります。
- 井伊家の城:元和元年(1615年)、井伊直政の長男・井伊直勝が入り、安中藩が始まりました。直勝は、彦根を弟の直孝に譲った人です。
- 大老・堀田正俊:のちに五代将軍綱吉のもとで大老となる堀田正俊も、安中の城主をつとめました。
- 板倉家の時代:延享2年(1745年)から明治まで、板倉家が城主をつとめました。幕末の藩主・板倉勝明は学問を重んじた殿様で、藩校を整え、安政遠足を始めた人です。
- 新島襄:同志社をつくった新島襄は、江戸の安中藩邸で生まれた安中藩士の子です。
- 幕末と小栗上野介:慶応4年(1868年)、新政府軍の命令で、高崎・吉井の藩兵とともに安中藩兵も小栗上野介を捕らえに権田村へ向かいました。小栗が好きなわたしとしては、安中藩にはもっと小栗をかばってほしかった、と思ってしまいます。
あわせて回るなら
| 新島襄旧宅 | 茅葺きの新島家の旧宅。無料・月曜休館。車ですぐ。【現地レポート】新島襄旧宅 |
|---|---|
| 安中教会 | 新島襄の帰郷をきっかけに生まれた教会。城下町の中にある |
| めがね橋(碓氷第三橋梁) | 安政遠足のゴール・碓氷峠のふもと。車で約30分。【現地レポート】めがね橋 |

よくある質問
Q.安中城跡には何が残っていますか?
A.お堀・石垣・門・土塁は残っていません。「本丸跡」の案内標識と、安政遠足の碑などの石碑があります。城跡の中には、郡奉行役宅と武家長屋が復元されています。
Q.本丸跡はどこですか?
A.安中市文化センターや安中小学校のある一帯です。案内看板は現地のそばにしかないので、先に地図で確かめておくと安心です。わたしは郡奉行役宅の受付で聞きました。
Q.駐車場はありますか?
A.本丸跡の近くに施設の広い駐車場があり、わたしたちはそこに停めました。郡奉行役宅にも数台分の駐車場があります。
Q.安中城の御城印はありますか?
A.わたしは時間がなく、どこでいただけるのか調べることすらできませんでした。御城印が目当ての方は、出かける前に安中市の観光案内で確かめてください。
Q.どのくらい時間がかかりますか?
A.本丸跡と石碑だけなら30分ほど。郡奉行役宅と武家長屋の中も見学するなら、1時間ほど見ておくとよいと思います。
※郡奉行役宅・武家長屋の料金と開館時間は観光案内によります。お出かけ前に安中市の案内で確かめてください。
