伊豆は、鎌倉幕府の物語が始まった土地です。流人だった源頼朝が北条政子と結ばれて挙兵し、政子・義時ら北条一族が世を動かし、やがて二代将軍・頼家がこの地で悲劇の最期を遂げる——伊豆にはその舞台がいくつも残っています。今回は運営者(佐藤秀信)が家族と、後北条氏の名城山中城から、三嶋大社、韮山反射炉、そして北条氏ゆかりの寺社や源頼家の墓まで、伊豆の歴史を一泊二日でめぐりました。戦国・幕末・鎌倉、そして水族館まで欲張りに詰め込んだ記録です。
1日目
後北条氏の名城・山中城 ― 障子堀の妙
旅の始まりは、箱根の峠道に築かれた山中城。小田原に本拠を置いた後北条氏が、西からの敵に備えて尾根上に築いた山城で、堀の底に畝(うね)を残して敵の横移動を封じる障子堀・畝堀が名物です。緑に覆われたワッフル状の堀跡は、後北条流の築城術を今に伝えます。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めでは豊臣方の大軍の猛攻を受け、わずか半日で落城したと伝わります。日本100名城のひとつ。
伊豆国一宮・三嶋大社 ― 頼朝が源氏再興を祈った社
三島の中心に鎮座する三嶋大社は、伊豆国一宮です。流人時代の源頼朝が源氏再興を祈願し、篤く崇敬したことで知られます。頼朝の挙兵もこの三嶋大社の祭礼の日に合わせたと伝わります。荘重な社殿(本殿・幣殿・拝殿は国の重要文化財)が、緑の境内に映えていました。
幕末の韮山反射炉と江川英龍
時代は一気に幕末へ。韮山反射炉は、韮山代官・江川英龍(坦庵)の建議で築造が始まり、その子・英敏の代の安政4年(1857)に完成した、大砲鋳造のための炉です。実際に稼働した反射炉としては国内で唯一現存し、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されています。連双にそびえる煉瓦の煙突と、鋳造された大砲が、日本の近代化の夜明けを物語ります。
頼朝配流の地・蛭ヶ島 ― 頼朝と政子が結ばれた場所
ここが、北条氏の物語の出発点。蛭ヶ島は、平治の乱に敗れた源頼朝が14歳で流された配所で、頼朝はここで約20年の流人生活を送りました。そしてこの地で、土地の豪族・北条時政の娘政子と結ばれます。二人の出会いがなければ、鎌倉幕府も北条氏の時代もなかったでしょう。公園には、富士を望んで並び立つ「蛭ヶ島の夫婦」——頼朝と政子のブロンズ像が建っています。
韮山代官の屋敷・江川邸
反射炉を築いた江川英龍の本拠が、江川邸(江川太郎左衛門宅)。韮山代官を世襲した江川氏の屋敷で、国の重要文化財です。釘をほとんど使わずに組み上げた豪壮な小屋組の梁は圧巻で、土間には当時をしのばせる大砲や道具が並んでいます。江川英龍は、日本で初めてパン(軍用の乾パン)を焼いた人物としても知られ、「パン祖」とも呼ばれます。
2日目
成福寺 ― 執権・北条時宗の子が開いた寺
二日目は、北条一族ゆかりの寺社めぐりから。成福寺は、現地の説明板によれば、鎌倉幕府8代執権北条時宗の子・正宗が開いたと伝わる寺。北条氏の邸があったとされる一帯にあり、境内には北条氏の供養塔も残っています。元寇という国難に立ち向かった執権の一族が、故地・伊豆で静かに弔われています。
伝堀越御所跡 ― 頼朝の館から堀越公方へ
続いて伝堀越御所跡。この一帯は、源頼朝の館(北條館)があった地とも、室町時代に関東を治めるべく置かれた堀越公方・足利政知の御所があった地とも伝わります。のちに、この堀越公方の内紛に乗じて伊豆へ攻め込み、これを滅ぼして戦国大名への道を開いたのが、北条早雲(伊勢宗瑞)でした。伊豆は、鎌倉の北条氏だけでなく、戦国の後北条氏にとっても“はじまりの地”なのです。
北条寺 ― 北条義時夫妻の墓
北条寺(巨徳山北條寺)は、二代執権北条義時が創建したと伝わる寺。頼朝の死後、幕府の実権をめぐる激しい政争を勝ち抜き、承久の乱で朝廷方を退けて武家政権を確立した、北条氏の“中興の祖”です。境内の裏山には、義時夫妻の墓と伝わる二基の五輪塔が静かに並んでいます。運慶作と伝わる仏像や、貴重な繍帳を蔵することでも知られます。
修禅寺と修善寺温泉 ― 独鈷の湯
伊豆屈指の古湯・修善寺温泉へ。中心に建つ修禅寺は、弘法大師(空海)の開基と伝わる古刹で、のちに二代将軍・源頼家がこの地に幽閉される舞台となりました。桂川に架かる朱塗りの橋や、川中に湧く独鈷(とっこ)の湯——弘法大師が独鈷杵で岩を打って湧かせたと伝わる、修善寺温泉発祥の湯——など、しっとりとした温泉情緒が漂います。河原の足湯で、川風に吹かれてひと休みしました。
悲劇の将軍・源頼家 ― 指月殿・頼家の墓・十三士の墓
そして、この旅の“物語の終着点”へ。二代将軍源頼家は、父・頼朝の死後わずか十八歳で将軍となったが、実権を握ろうとする北条氏と対立し、病を理由にこの修善寺へ幽閉されました。元久元年(1204)、入浴中に暗殺されました(享年23)。母・北条政子が、わが子の菩提を弔って建てたのが指月殿で、伊豆最古の木造建築とされています。頼家の墓(供養塔)や、頼家と運命を共にした家臣を葬ると伝わる「十三士の墓」も、近くにひっそりと残っています。栄華の陰にある一族の非情——伊豆でたどる鎌倉物語は、ここで静かに幕を閉じます。
ひと休みと、伊豆・三津シーパラダイス
歴史をたっぷり歩いたあとは、レトロな喫茶でタピオカのひと休み。そして最後は、駿河湾に臨む水族館伊豆・三津シーパラダイスへ。日本でも指折りの歴史をもつ水族館で、イルカやアシカと間近にふれあえます。青い海を背にしたイルカ像や、色とりどりの魚のタッチプールに、旅の締めくくりらしい笑顔がこぼれました。歴史も自然も、伊豆はどちらも懐が深いのです。
実際に歩いて感じたこと
伊豆を一泊二日で歩いてみて、あらためて「ここが鎌倉幕府の原点なのだ」と実感しました。流人・頼朝が政子と出会った蛭ヶ島に立ち、義時の墓に手を合わせ、政子が我が子を弔った指月殿と頼家の墓を訪ねると、教科書の年号でしか知らなかった北条一族の栄光と悲劇が、ひとつながりの物語として胸に迫ってきます。そこに、後北条氏の山中城、幕末の韮山反射炉、そして水族館までが加わって、時代を超えた“伊豆の重層”を存分に味わえました。史跡が好きな人にも、家族旅行にもすすめたい、内容の濃い二日間でした。
この旅の道のり
- 1日目後北条氏の名城・山中城障子堀の妙車で約20分
- 伊豆国一宮・三嶋大社頼朝が源氏再興を祈った社車で約20分
- 幕末の韮山反射炉と江川英龍車で約5分
- 頼朝配流の地・蛭ヶ島頼朝と政子が結ばれた場所車で約5分
- 韮山代官の屋敷・江川邸一泊
- 2日目成福寺執権・北条時宗の子が開いた寺徒歩すぐ
- 伝堀越御所跡頼朝の館から堀越公方へ車で約10分
- 北条寺北条義時夫妻の墓車で約30分
- 修禅寺と修善寺温泉独鈷の湯徒歩すぐ
- 悲劇の将軍・源頼家指月殿・頼家の墓・十三士の墓車で約30分
- ひと休みと、伊豆・三津シーパラダイス
※移動時間は一般的な所要時間の目安です。撮影時刻の記録が残っていないため、時刻は省いています。
この記事で歩いた地域を、都内発の日帰り・1泊で回るコースにまとめています。





























