【実録】栃木・群馬の城めぐり ― 栃木城・大田原城・皆川城から佐野城・館林城まで 1泊2日

今回は、栃木県と群馬県にまたがって、江戸時代の城と陣屋の跡をめぐる一泊二日です。運営者(佐藤秀信)が妻とともに、栃木城から大田原城・烏山城、皆川城、二つの佐野城、そして群馬の館林城まで、次々と城跡を訪ねました。いずれも天守は残らず、土塁や堀、そして説明板を頼りに歩く“いぶし銀”の城めぐり。あいだに陶芸体験や、思いがけない神社との出会いもはさんだ、歴史好きにはたまらない二日間になりました。初日は湯西川温泉に一泊しています。

訪問:2023年9月

目次

この旅の行程

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※この時刻は標準的な滞在時間から組んだモデル的な目安で、当日の実際の記録ではありません。移動時間も一般的な所要時間です。
時刻 スポット・行程 見どころ・メモ
09:30 栃木城跡栃木城 皆川氏が移り住んだ城
宿泊:一泊  
09:00 大田原城大田原城 戊辰の危機を乗り越えた城
★トイレはあります。駐車場は少なめです。
移動:車で約40分  
10:40 那須氏の烏山城  
移動:車で約40分  
12:20 陶芸体験でひと休み  
移動:車で約1時間  
14:00 忠臣・鳥居元忠を祀る精忠神社  
移動:徒歩すぐ  
14:20 壬生城壬生城 濠の美しい、将軍ゆかりの城
★駐車場もトイレもあります。
移動:車で約30分  
15:50 難攻不落の山城・皆川城  
移動:車で約40分  
17:30 二つの佐野城 春日岡城と堀田佐野城
移動:車で約30分  
19:00 旅の締めは館林城 群馬

1日目

栃木城跡 ― 皆川氏が移り住んだ城

まずは栃木城から。ここは、戦国の名族皆川氏の当主・皆川広照が、本城の皆川城からこの地へ移して築いた城です。しかし慶長14年(1609)、広照が徳川幕府の怒りにふれて改易となり、城は取り壊されてしまいました。今は堀跡や土塁の一部と「栃木」の地名が残るのみですが、城下町に暮らした皆川家の家臣・坂本與兵衛が、のちに寺子屋を開いた—といった土地の物語も、説明板が伝えてくれます。

泊まった宿:湯西川温泉。山あいの静かな湯宿でゆっくり体を休め、翌日の城めぐりに備えました。

2日目

大田原城 ― 戊辰の危機を乗り越えた城

二日目は、栃木県北の大田原城から。現地の説明板によれば、天文14年(1545)に大田原資清が築いて以来、廃藩まで約326年にわたる大田原氏の居城でした。幕末の戊辰戦争では西軍(新政府軍)の拠点となり、旧幕府軍の攻撃を受けましたが、火薬庫の爆発が敵をひるませ、落城をまぬがれたと伝わります。土塁と空堀が良好に残り、小藩の城らしい静けさが漂っていました。

この城を築いた人は、一度すべてを失っています

大田原城を築いたのは大田原資清です。ところが、この人の経歴は穏やかではありません。

大田原市の公式サイト(市指定有形文化財「紙本著色 大田原資清と一族の肖像画」の解説)によれば、資清はもともと那須氏の家臣でしたが、「大関氏、福原氏と争い敗れて出家し越前に逃れました」。同じ那須七騎の家に負けて、頭を丸めて、北陸まで落ちのびているのです。

そして、戻ってきました。「天文11年(1542)大関増次を倒し、子の高増に大関氏を継がせ、大田原城を築きました」と、同じ解説にあります。

自分を追い出した家を倒して、そこに息子を据えた。そして同じ年に、自分の城をこの地に構えている。負けて逃げた男の、二十年越しの巻き返しです。

那須七騎のうち、大関氏と福原氏は、こうして大田原資清の息子たちが継ぎました。三つの家が、一人の父親の子で埋まったことになります。

親子の城が、車で二十分の距離にあります

大関家を継いだ高増は、三十四年後の天正四年(一五七六)に黒羽城を築いて移りました。那珂川をはさんで、この大田原城から車で二十分ほどの場所です。

二つの城が近いのは、偶然ではありません。親の城と、子の城だからです。

そして、大きくなったのは分家のほうでした。黒羽城はのちに南北約一・五キロ、東西約二五〇メートルという県北最大規模の山城になり、幕末の藩主・大関増裕は幕府の陸軍奉行と海軍奉行を務めています。

黒羽城とその城下は、別の旅であらためて歩きました。【実録】一万八千石から出た二人 ― 黒羽城と大関増裕、朝ドラ『風、薫る』の大関和、そして喜連川の大手門に、御殿の間取り図や戊辰戦争の話とあわせて書いています。

那須氏の烏山城

続いて烏山城へ。那須与一で知られる名族那須氏ゆかりの山城で、続日本100名城にも数えられています。城域は山の上に広がり、麓には「烏山城趾」への道標が立っていました。

この日は雨でした。登り口には縄張り図つきの案内板が立っていて、本丸・古本丸・三の丸といった曲輪の名が並んでいます。図を見ると、城域が山ひとつをまるごと使っていることがよく分かりました。

登ってみて驚いたのが石垣です。杉林のなかの細い道を上がっていくと、雨に黒く濡れた石垣が斜面に長く続いていました。わざわざ「石垣」と書いた標柱まで立っています。中世の山城というと土塁と空堀の城を思い浮かべますが、烏山は江戸時代を通じて藩の城でもありました。土の城のままでは終わらなかったのだと思います。

那須与一が生まれたと伝わる神田城は別の旅で訪ねましたが、平地の小さな館と、この山ひとつを使った城と。同じ一族の城とは思えないほど違います。

陶芸体験でひと休み

城めぐりの合間には、ろくろを回して陶芸体験。土の感触にふれながら器を成形するのは、思いのほか夢中になれる時間でした。歴史一色になりすぎない、旅のよい息抜きになりました。

忠臣・鳥居元忠を祀る精忠神社

壬生の町で、予期せず出会えたのが精忠神社です。祭神は、関ケ原の合戦の前哨戦で伏見城を死守し、壮絶な最期を遂げた徳川の忠臣鳥居元忠(精忠霊神)。のちに壬生藩主となった鳥居家(元忠の子孫)が、先祖を祀ったお社です。予定していなかった参拝でしたが、思いがけずゆかりの神社に出会えたのは、この旅の幸運なひとこまでした。

壬生城 ― 濠の美しい、将軍ゆかりの城

壬生城は、戦国の壬生氏の城を起こりとし、江戸時代には日光社参の将軍が宿泊する城として整えられました。正徳2年(1712)以降は鳥居氏三万石の居城となり、明治まで続きます。本丸の土塁と、水をたたえたお濠が美しく、城跡公園として気持ちよく歩けました。石垣に映る水面が、静かで印象的です。

難攻不落の山城・皆川城

栃木城の“前身”にあたるのが、皆川氏の本城皆川城です。標高147mの山を丸ごと城とし、階段状に曲輪を連ねた姿から「法螺貝城(ほらがいじょう)」とも呼ばれ、県内でも指折りの古く堅固な山城として、難攻不落と称えられました。慶長14年(1609)に皆川氏が改易となって廃城となりましたが、山肌に刻まれた堀切や曲輪の跡が、往時の防御の厳しさを今に伝えています。

二つの佐野城 ― 春日岡城と堀田佐野城

佐野には、時代の異なる二つの「佐野城」があります。ひとつは、唐沢山城主・佐野信吉が慶長7年(1602)に山城から移して築いた佐野城(春日岡城)。ところが築城まもない慶長19年(1614)、佐野氏が改易となって廃城となりました。堀切や石畳・石垣が良好に残る、佐野市指定史跡です。もうひとつは、幕末の文政11年(1828)に堀田正頌が築いた堀田佐野城で、明治2年に廃城となった別の城。同じ「佐野城」でも、時代も場所も違うのが面白いところです。

旅の締めは館林城(群馬)

締めくくりは、群馬県に入って館林城へ。尾曳城(おびきじょう)とも呼ばれ、沼を要害とした平城で、徳川四天王の榊原康政や、五代将軍となる徳川綱吉も城主を務めた、由緒ある城です。沼辺の文化を伝える日本遺産「里沼(さとぬま)」の構成文化財にもなっています。復元された三の丸土橋門と土塁が残るこぢんまりとした城跡ですが、白壁の門をくぐると、確かな趣が感じられました。

実際に歩いて感じたこと

この二日間は、天守のそびえる有名な城ではなく、廃城となって静かに眠る城跡ばかりを訪ねる旅でした。それでも、説明板と土塁・堀を頼りに歩けば、皆川氏や大田原氏、佐野氏といった土地の武士たちの物語が、しっかりと立ち上がってきます。「法螺貝城」と称えられた難攻不落の皆川城、水濠の美しい壬生城、思いがけず出会えた鳥居元忠の精忠神社、そして小さいながらも趣のある館林城—ひとつひとつは地味でも、歩けば歩くほど味わいが増していきました。派手さはなくても、歴史好きにはたまらない、満足度の高い城めぐりだったと思います。

この旅の道のり

  1. 09:30栃木城跡皆川氏が移り住んだ城一泊
  2. 09:00大田原城戊辰の危機を乗り越えた城車で約40分
  3. 10:40那須氏の烏山城車で約40分
  4. 12:20陶芸体験でひと休み車で約1時間
  5. 14:00忠臣・鳥居元忠を祀る精忠神社徒歩すぐ
  6. 14:20壬生城濠の美しい、将軍ゆかりの城車で約30分
  7. 15:50難攻不落の山城・皆川城車で約40分
  8. 17:30二つの佐野城春日岡城と堀田佐野城車で約30分
  9. 19:00旅の締めは館林城群馬

※この時刻は標準的な滞在時間から組んだモデル的な目安で、当日の実際の記録ではありません。移動時間も一般的な所要時間です。

このコースの城の御城印について

このコースに登場する館林城は、御城印の頒布情報を自治体や施設の公式サイトで確認できました。

頒布場所と料金は御城印はどこで買える? 公式で確認できた頒布情報まとめに一覧でまとめています。頒布場所や料金は変わることがあるので、お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

小栗上野介ゆかりの地について

この旅でまわった館林城には、慶応四年(一八六八)に処刑された小栗上野介の首級が送られたと、館林市の公式サイトが伝えています。首実検ののち市内の法輪寺に埋められ、一周忌に地元の有志が掘り出して群馬の権田村へ移葬したそうです。

東京・横須賀・埼玉・群馬に残るゆかりの地は小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどるにまとめています。2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公です。

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