福島県いわき市には、炭鉱の街をフラダンスで蘇らせたフラガールの物語と、江戸時代にこの地を治めた大名たちの城や陣屋が、隣り合って残っています。今回は運営者(佐藤秀信)が家族と、午前はスパリゾートハワイアンズで遊び、午後は湯長谷陣屋・磐城平城・泉陣屋をめぐる、レジャーと歴史を欲張りに詰め込んだいわきの日帰りです。三つの城と陣屋が、いずれも内藤家でつながっているのも面白いところです。
フラガールの街・スパリゾートハワイアンズ
まずは午前中、スパリゾートハワイアンズへ。ここは、常磐炭鉱の閉山という苦境のなかで、炭鉱で働いた人々が“地下の宝”から“地上の楽園”への転換を図り、地元の女性たちがフラダンスのステージで街を支えた——映画「フラガール」で知られる、日本の産業転換の物語がそのまま生きている場所です。椰子の並ぶ南国ムードのエントランスや、マスコットのフォトスポットで、半日たっぷり楽しみました。
「超高速!参勤交代」の舞台・湯長谷陣屋
午後は歴史めぐりへ。まずは湯長谷陣屋。ここは、映画「超高速!参勤交代」のモデルになった湯長谷藩の政庁です。湯長谷藩は磐城平藩・内藤家の分家として立てられた小藩で、現地の説明板によれば、初代藩主が延宝4年(1676)に下湯長谷村へ陣屋と家臣屋敷を築き、翌年に完成させました。周囲は土塁と幅二間の堀で囲まれ、今もその堀跡が残っています(現在は中学校の敷地になっています)。江戸から遠い小藩が幕命で数日の弾丸参勤を強いられた——という映画の設定を思い浮かべながら歩くと、味わいもひとしおです。
いわきの要・磐城平城
続いて、いわきの中心の城磐城平城へ。説明板の年表によれば、慶長7年(1602)に鳥居忠政が入部して築城を始め、慶長19年に完成しました。元和8年(1622)に鳥居氏が山形へ移ると、内藤政長が入り、その後は井上氏・安藤氏と城主が替わりました。幕末の藩主安藤信正は、大老・井伊直弼の暗殺後に幕政を担った老中で、坂下門外の変で襲撃されたことでも知られます。そして慶応4年(1868)、戊辰戦争のあとに廃城となりました。今は本丸跡地の碑が立ち、水堀に木道が架かる一角が城跡公園として整えられています。
老中「赤玉本多」の泉陣屋
締めくくりは泉陣屋(泉城阯)。泉藩は、磐城平藩主・内藤忠興の次男内藤政晴が2万石で立てた藩で、のちに板倉氏を経て本多氏が城主となりました。二代目の本多忠籌(ただかず)は、寛政2年(1790)に老中格に就き、松平定信の寛政の改革を支えた実力者です。説明板によれば、登城の際に朱色の玉を槍の穂先に飾った行列で知られ、俗に「赤玉本多」と呼ばれたそうです。境内には、その朱玉をかたどったモニュメントと、本多家の家紋「本多立ち葵」が残っていました。
実際に歩いて感じたこと
いわきを一日歩いてみて、レジャーと歴史がひとつの街に同居している面白さを味わえました。午前のハワイアンズは、炭鉱の閉山という危機を人の力で乗り越えた“再生の物語”。午後にめぐった三つの城と陣屋は、いずれも内藤家ゆかりで、栄えては消えていった小藩や城下の記憶を伝えています。映画にもなった湯長谷が荒れたままなのは少し寂しく、泉陣屋にいたっては面影もほとんど残っていません。それでも、老中・安藤信正の磐城平城、老中格・本多忠籌の泉藩と、幕政の中枢に人を送り出したこの地の歴史を思うと、地方の小さな城跡にも確かな重みがあると感じました。派手な天守がなくても、説明板と碑を頼りに歩けば、土地の物語はちゃんと立ち上がってきます——そんな“いぶし銀”の史跡めぐりでした。
この旅の道のり
- フラガールの街・スパリゾートハワイアンズ車で約15分
- 「超高速!参勤交代」の舞台・湯長谷陣屋車で約20分
- いわきの要・磐城平城車で約20分
- 老中「赤玉本多」の泉陣屋
※移動時間は一般的な所要時間の目安です。撮影時刻の記録が残っていないため、時刻は省いています。
この記事で歩いた地域を、都内発の日帰り・1泊で回るコースにまとめています。













