10月の土曜日の午前、家から歩いて洗足池へ行ってきました。池のほとりには勝海舟記念館があり、そのすぐ近くに勝海舟と妻・たみの墓、そして海舟が西郷隆盛のために建てた留魂詩碑が並んでいます。今回は記念館の企画展「KOROKU ‐海舟の息子・勝小鹿の生涯‐」が目当てでした。歩いて行ける近所に、幕末の主役ふたりの縁がこれだけ残っている。あらためて、ありがたい場所だと思います。
訪問:2026年10月
この旅の行程
| 時刻 | スポット・行程 | 見どころ・メモ |
|---|---|---|
| 10:19 | 名馬池月の像![]() |
池のほとりの小高い場所に立つ馬の像。少しだけ見て先へ |
| 徒歩:池沿いに数分 | ||
| 10:25 | 勝海舟記念館(外観)![]() |
昭和初期の旧清明文庫の建物。国の登録有形文化財 |
| 徒歩:すぐ | ||
| 10:32 | 勝海舟夫妻の墓・西郷隆盛留魂詩碑![]() |
五輪塔の墓が2基。隣に留魂詩碑と水盤。常時公開・無料 |
| 徒歩:すぐ | ||
| 10:38 | 勝海舟記念館(館内)![]() |
企画展「KOROKU」、胸像、洗足軒の模型 |
| 徒歩:数分 | ||
| 10:51 | 御松庵・洗足軒跡![]() |
日蓮の袈裟掛けの松と、海舟の別荘跡の案内板 |
池のほとりで、まず名馬池月に会う

池に着いて最初に目に入ったのが、石垣の上に立つ大きな馬の像です。源頼朝がこの近くに陣を張ったとき、どこからか現れた野馬が池に姿を映し、その姿が月のようだったので「池月」と名づけた、という伝説が残っています。のちに宇治川の先陣争いで知られる名馬です。今回は少しだけ見て、記念館のほうへ向かいました。
勝海舟記念館 ― 昭和の文庫の建物
記念館の建物は、海舟の没後に別荘と墓所を守るために建てられた「清明文庫」をそのまま使っています。国の登録有形文化財で、入口まわりの装飾に昭和初期の雰囲気が残っています。
館内に入ると、等身大の勝海舟のパネルが迎えてくれます。添えられた札には、身長は156〜157cmといわれる、とありました。江戸城の無血開城を談判した人が、思ったより小柄だったことに驚きます。奥の部屋には晩年の海舟の胸像。高村光雲の弟子・本山白雲の作で、昭和25年(1950)から東京都議会に保管されていたものだそうです。
企画展「KOROKU」― やはり息子も海軍だった
今回の目当ては、企画展「KOROKU ‐海舟の息子・勝小鹿の生涯‐」です。勝小鹿(ころく、1852〜92)は海舟の長男。慶応3年(1867)、父の助力で10代半ばにしてアメリカへ渡り、ラトガース・カレッジのグラマースクール、続いてアメリカ海軍兵学校で学びました。留学は10年におよびます。
展示を見て最初に思ったのは、「やはり子どもも海軍か」ということでした。父の海舟は咸臨丸で太平洋を渡り、のちに日本の海軍づくりに関わった人です。その息子が、父の期待を背にアメリカで海軍を学び、明治10年(1877)に帰国して海軍に入る。親子で同じ道を歩いたことになります。
ただ、展示からは、小鹿が体調にあまり恵まれなかった様子も伝わってきました。帰国してまもなく病を患い、明治25年(1892)、41歳の若さで亡くなっています。父の海舟は、このあと7年長く生きました。展示では、留学中に父へ送った手紙や、海軍時代の刀2振、今回復元された肖像写真などが並んでいます。長いあいだ父の陰に隠れてきた人に光を当てる、記念館として初めての企画展です。
小鹿が亡くなったあと、勝家は徳川慶喜の十男・精(くわし)が養子に入って継ぎました。この「徳川と勝家のつながり」は、このあと墓所でもう一度出てきます。
勝海舟夫妻の墓 ―「海舟」の字は誰が書いたか

記念館の前の道を渡ると、木立の中に墓所があります。石灯籠の奥に、同じ大きさの五輪塔が2基並んでいます。向かって右が海舟、左が妻のたみです。大田区の指定史跡で、いつでもお参りできます。
案内板によると、海舟は明治32年(1899)1月19日、赤坂氷川の屋敷で77歳の生涯を終えました。遺骸はその日のうちに、生前に気に入っていたこの洗足池のほとりに葬られています。五輪塔は、海舟が生前に描いた墓の絵をもとに造られ、同じ年の11月に完成しました。たみ夫人は明治38年(1905)に亡くなり、最初は青山墓地に葬られましたが、昭和28年(1953)に夫の隣へ移されています。
墓の前には「海舟先生墓前」と刻まれた水盤があります。墓所ができた年に、勝家と海舟の知人たちが寄附を集めて据えたもので、裏には榎本武揚や赤松則良、木村芥舟ら56人の名前が刻まれているそうです。
ここで、少し混乱したことがありました。海舟の墓石に刻まれた「海舟」の二文字は、徳川家達(いえさと)が書いたのか、徳川慶喜が書いたのか。墓所の案内板には「徳川家達の揮毫」とあります。ところが、このあと見た洗足軒跡の案内板には「徳川慶喜の筆と伝えられています」と書かれていたのです。
帰ってから調べると、勝海舟記念館の学芸員のコラムに答えがありました。古い本に「徳川公爵が書いた」とあったため、長く慶喜の字と言われてきた。けれども海舟が亡くなった明治32年の時点で「徳川公爵」だったのは、明治17年に公爵になった家達だけで、慶喜が公爵になるのは明治35年のこと。さらに勝伯爵家の執事の日誌に、徳川公爵に揮毫をお願いした「千束五輪塔の海舟の文字」の拓本を、お礼として千駄ヶ谷(家達の本邸)へ届けた、という記事が見つかったそうです。正解は家達でした。案内板が二つの説を伝えているのは、新しい案内板(令和7年)がこの研究を反映したからでしょう。
家達は6歳で徳川宗家を継ぎ、それから30年あまり海舟の世話を受けた人です。墓石に字を寄せたのは、その恩返しだったのだろうと、コラムは結んでいます。慶喜の息子が勝家を継ぎ、家達が墓の字を書く。徳川家と勝家のつながりが、この小さな墓所に残っていました。
西郷隆盛の留魂詩碑 ― 勝と西郷は互いを理解していた
夫妻の墓のすぐそばに、舟形の古い石碑が立っています。西郷隆盛の留魂詩碑です。表には、西郷が沖永良部島に流されて獄中にあったときに作った漢詩「獄中感有り」が刻まれています。横の案内板に読み下しがあり、「願はくは魂魄を留めて皇城を護らむ」という結びの句が、碑の名前の由来です。
この碑は、海舟が私費で建てたものです。建てたのは明治12年(1879)、西郷の三回忌にあたる年です。西郷が西南戦争に敗れ、「賊軍」の将として世を去ってから、わずか2年後のことでした。最初は今の葛飾区にある浄光寺の境内に建てられ、大正2年(1913)、荒川放水路の工事で移されることになったとき、海舟の門下だった富田鉄之助らの働きでこの地へ移されました。碑の裏には、海舟が西郷への思いをつづった文章が刻まれていて、自分たちは互いをよく理解していた、という意味の言葉で結ばれているそうです。
碑の前に立って、勝も西郷も、双方がお互いを理解し、そして尊敬していたのだろうと感じました。江戸城の明け渡しを話し合ったふたりは、敵と味方の立場にいました。それでも海舟は、世間が西郷を賊と呼んでいたときに、その詩を石に刻んで残した。そして今、その碑は海舟自身の墓のすぐ隣にあります。隣には、海舟を師と仰いだ徳富蘇峰の詩を刻んだ「南洲海舟両雄詠嘆之詩碑」(昭和12年)もあり、ここがふたりを一緒に偲ぶ場所として大切にされてきたことが伝わってきます。
洗足軒跡と御松庵 ― 海舟がこの地を選んだわけ
海舟がこの地と縁を結んだのは、慶応4年(1868)の江戸開城の交渉のときでした。新政府軍の本陣が置かれた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりの茶屋で休み、その景色に心を動かされたといいます。明治23年(1890)の末、津田仙(津田梅子の父)の仲立ちで土地を求め、別荘「洗足軒」を建てました。茅葺きの農家風の建物で、記念館には60分の1の模型があります。別荘の跡地は、いまの大森第六中学校のあたりです。
案内板には、晩年の海舟がここで詠んだ歌も紹介されていました。墓を別荘の裏の丘に用意したのは、「富士を見ながら土に入りたい」という思いからだったそうです。
帰りに少しだけ、竹林の中の御松庵にも寄りました。弘安5年(1282)、日蓮がこの池のほとりで休み、松に袈裟を掛けて池の水で足を洗ったという言い伝えがあり、それが「洗足池」という名前の由来のひとつとされています。今ある松は三代目だそうです。
実際に歩いて感じたこと
ひとつめ。記念館と墓所は、ぜひセットで回ってください。道をはさんですぐの距離です。記念館で海舟と小鹿の生涯を知ってから墓所に立つと、並んだ五輪塔や西郷の碑の意味が、ぐっと身近に感じられます。
ふたつめ。案内板は、書かれた年を見比べると面白いです。「海舟」の字を書いたのが家達か慶喜か、二つの案内板で答えが違っていました。新しい研究で通説が変わることがある。現地で迷ったことが、帰ってから調べるきっかけになりました。
みっつめ。近所に、こういう場所があるのはありがたいことです。家から歩いて行けて、行くたびに新しい発見があります。妻は勝海舟が好きで、記念館にはよく行きたがります。企画展が替わるたびに、また足を運ぶことになりそうです。
行く前に知っておきたいこと
| 所在地 | 記念館:東京都大田区南千束2-3-1/墓所:南千束2-14-5(洗足池公園内) |
| アクセス | 東急池上線「洗足池駅」から徒歩約6分(記念館) |
| 開館時間 | 記念館:午前10時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)/墓所:常時公開 |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、展示替え期間など |
| トイレ | 池のまわりに4か所(下の案内図を参照)。記念館の館内にもあります |
| 入館料 | 300円(小・中学生100円)。墓所は無料 |
| 企画展 | 「KOROKU ‐海舟の息子・勝小鹿の生涯‐」2026年8月21日〜12月27日(10月26日・27日は展示入れ替えのため休館) |
トイレの場所

池のほとりの案内図を見ると、トイレは池のまわりに4か所あります。
- 桜広場(池の東側):勝海舟夫妻の墓所と記念館のすぐそば。車いす対応の印あり。墓所や記念館を回るときはここが一番近い
- 休憩所(池の西側):池月の像・千束八幡神社の近く。車いす対応の印あり
- 子供広場(池の北西)
- ボートハウスのそば(池の南側、中原街道沿い):洗足池駅から来て最初にあるトイレ

洗足池図書館の前には、大田区の案内板「勝海舟ゆかりの地 周辺散策」もあります。図書館から記念館、墓所、留魂詩碑、池月の像まで10か所の見どころが番号つきで載っていて、トイレの位置も描かれています。駅から歩き始めるときに、写真を撮っておくと便利です。
この旅の道のり
- 10:19名馬池月の像池のほとり数分
- 10:25勝海舟記念館(外観)旧清明文庫すぐ
- 10:32勝海舟夫妻の墓・留魂詩碑「海舟」の字と西郷の詩すぐ
- 10:38勝海舟記念館(館内)企画展「KOROKU」数分
- 10:51御松庵・洗足軒跡袈裟掛けの松と別荘の跡
※時刻は当日撮影した写真の記録によるものです。














