9月なかばの午後、妻と車で八王子の滝山城跡へ行ってきました。多摩川と秋川が合流するあたりの丘に築かれた、北条氏照の城です。天守も石垣もない、土だけの城。それでも、入口から本丸の手前の引橋まで歩くと、深く掘られた空堀と、敵を迎え撃つための「馬出」が、いまもはっきり形を残していました。
この日は滝山城だけに絞った、短い城歩きの記録です。写真はすべて運営者が現地で撮影したものです。
訪問:2025年9月
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| 時刻 | スポット・行程 | 見どころ・メモ |
|---|---|---|
| 13:56 | 滝山城跡の入口![]() |
「ようこそ滝山城跡へ」の看板と、国指定史跡・続日本100名城の石碑。入口近くに無料の滝山観光駐車場(29台) |
| 徒歩:竹林の散策路を上って約8分 | ||
| 14:04 | 三の丸![]() |
標識の先は、木立の中の平場。ここから城の中心部へ向かう |
| 徒歩:すぐ | ||
| 14:06 | 千畳敷と角馬出![]() |
案内板⑥「馬出」。二の丸の出入口の前に設けた、四角い防御の空間 |
| 徒歩:空堀沿いに約4分 | ||
| 14:10 | 空堀と引橋![]() |
本丸と中の丸を結ぶ木の橋。空堀の底から見上げると、堀の深さがよくわかる |
| 徒歩:約5分 | ||
| 14:17 | 都立滝山公園の解説板![]() |
北条氏照と滝山城の歴史、八王子市内の城館跡の地図 |
入口 ―「ようこそ」の看板と、城攻めマップ
入口に着いてまず目に入るのは、城の縄張図を大きく描いた「ようこそ滝山城跡へ」の看板です。住宅地のすぐ裏手に、いきなり城の入口がある。その横には「国指定史跡 続日本100名城 滝山城跡」の石碑が据えられています。滝山城跡は昭和26年(1951)に国の史跡に指定され、いまは都立滝山公園として整備されています。
手に取ったのが「滝山城 城攻めマップ」というパンフレットでした。曲輪の名前と順路が描かれていて、スマートフォンのARアプリを使うと、園内の案内板の前で当時の建物の想像図を重ねて見られる仕組みになっています。天守も石垣も残っていない城なので、地図を片手に「いまどこにいるか」を確かめながら歩くのが、この城のいちばんの楽しみ方だと思います。
竹林を抜けて三の丸へ
入口からの道は、すぐに竹林の中に入ります。両側に竹が立ち並び、足もとは土の道。切られた竹が道の脇にまとめて積まれていて、公園として手入れされている様子が伝わってきました。坂を上りきると、「三の丸」の標識が立っています。
三の丸から先は、曲輪(くるわ)と呼ばれる平らな区画が、堀と土塁で仕切られながら奥へ奥へと続いていきます。滝山城は、丘の北側が多摩川に向かって急な崖になっていて、南から攻めてくる敵を、曲輪をいくつも重ねて食い止める造りです。
千畳敷の「角馬出」― 少ない人数で守るしかけ
三の丸を抜けると、ベンチとテーブルの置かれた広い草地に出ます。ここが千畳敷で、その端に立っていたのが案内板⑥「馬出(うまだし)」でした。副題は「少人数で守れる出入口前の防御設備」。
案内板によると、馬出とは虎口(出入口)の前方に設けた空間のことです。ここのものは四角い形に造られていることから「角馬出(かくうまだし)」と呼ばれています。出入口の前にもう一つ囲いをつくることで守りが固くなり、同時に城兵が打って出るのも容易になる。滝山城では、二の丸の三か所の出入口に、それぞれ馬出が設けられていたと書かれていました。
拡大図には「現在位置」の印と、城道の向きが矢印で描かれています。実際にその場に立って見比べると、道が一度でまっすぐ入れず、折れ曲がりながら進む形になっているのがわかります。攻める側からすれば、曲がるたびに横から狙われる道です。
空堀と引橋 ― 下から見上げてわかる深さ






千畳敷から先に進むと、道の脇に空堀が口を開けていました。木と草におおわれているので、ぱっと見では谷のように見えますが、斜面をよく見ると人の手で削った角度をしています。
道標には「本丸・中の丸」と「信濃曲輪」の文字。本丸の方へ進むと、空堀の上に木の橋が架かっているのが見えてきます。これが引橋(ひきはし)で、本丸と中の丸を結んでいます。名前のとおり、いざというときには橋を引いて渡れなくする、という役目があったといわれます。
見ごたえがあったのは、堀の底から引橋を見上げたところです。橋脚が高く組まれていて、その高さがそのまま堀の深さになっている。橋の上に立つと、今度は足もとが木々におおわれた深い溝で、ここを登って本丸に取りつくのは容易ではないことが、体でわかります。
引橋の近くには「史跡 滝山城跡」と刻まれた石柱が立っていました。ここまで入口から歩いて15分ほど。城の中心部の手前まで、短い時間でも城の造りの要点を見て回ることができます。
解説板が伝える、氏照と滝山城の話
最後に読んだ都立滝山公園の解説板には、滝山城の歴史がまとめられていました。書かれていたことを、そのまま整理しておきます。
- 滝山城は、小田原城を本拠とした戦国大名北条氏の第4代当主・氏政の弟、氏照の居城。縄張りの見事さから、全国有数の戦国時代の城郭として評価されている。
- 氏照はこれまで、「大石系図」などから武蔵守護代・大石定久の養子として滝山城に入ったとされてきた。しかし近年の研究では、幼名を藤菊丸といい、浄福寺城(八王子市下恩方町)を拠点に由井領を支配していた大石道俊(定久か)の子・大石綱周の養子になったと考えられている。
- 築城年代や氏照の入城の時期には不明な点があるが、永禄10年(1567)までには滝山城を居城としていたとみられる。
- 永禄12年(1569)10月、武田信玄が小田原城攻めの途中で滝山城を包囲した。拝島大日堂の森(昭島市)に陣取った武田勢は周辺の村々を焼き払い、滝山城を裸城にしたと伝えられる。このとき氏照は城下の「宿三口」へ兵を繰り出して戦ったと、越後の上杉謙信に自らの書状で伝えている。
- その後、天正10年(1582)ごろから新しい城の工事が始まり、同15年までには滝山城から八王子城へ移っていった。
「氏照は大石家の婿養子として滝山城に入った」という話はよく知られていますが、現地の解説板は、それを「これまでの説」として示したうえで、近年の研究による別の見方を書いています。本やネットで読んだ話を、現地の説明板で確かめ直すと、こういう違いに出会うことがあります。
実際に歩いて感じたこと
ひとつめ。石垣のない城は、地図があるとないとで見え方がまるで違います。入口でもらった城攻めマップと、要所ごとの案内板のおかげで、ただの草地や谷に見える場所が、三の丸、千畳敷、馬出、空堀と、名前のついた「城の部品」に変わっていきました。
ふたつめ。空堀は、上からではなく下から見るのがおすすめです。橋の上や道から見下ろすと、木々に隠れて深さがわかりにくい。引橋の下に回って見上げたとき、初めてこの城がどれだけ土を掘って造られたかが実感できました。
みっつめ。9月の滝山城は、緑がとても濃い城でした。竹林も草地も青々としていて、歩いていて気持ちのいい季節です。その分、堀や土塁の形は草に隠れがちなので、形をはっきり見たい方は、木の葉が落ちる冬から早春に行くのもよいと思います。
同じルートを歩く方へ。歩きやすい靴で行ってください。公園として整備されていますが、道は土で、竹林の坂や堀のまわりは足もとが悪いところもあります。また、城の奥には本丸・中の丸や信濃曲輪、弁天池などが続いています。時間に余裕があれば、城攻めマップを見ながら奥まで歩いてみてください。
行く前に知っておきたいこと
| 所在地 | 東京都八王子市丹木町・高月町・加住町(都立滝山公園) |
| 見学料 | 無料(公園として散策できます) |
| 駐車場 | 滝山観光駐車場(八王子市丹木町3丁目):無料・29台。午前8時〜午後6時(11月1日〜2月末日は午後4時まで) |
| 車で | 中央道 八王子ICから国道16号を拝島方面へ、左入交差点を左折して国道411号(滝山街道)へ |
| バスで | JR八王子駅・京王八王子駅から西東京バス「戸吹」行きなどで「滝山城址下」下車、公園入口まで徒歩約15分 |
| 見学の目安 | 入口から引橋までは、写真を撮りながら歩いて15分ほど(運営者の記録)。往復と奥の曲輪まで含めるなら1時間以上みておくと安心です |
この旅の道のり
- 13:56滝山城跡の入口看板と石碑、城攻めマップ竹林の道を約8分
- 14:04三の丸木立の中の平場すぐ
- 14:06千畳敷と角馬出案内板⑥「馬出」空堀沿いに約4分
- 14:10空堀と引橋堀の底から見上げる橋脚約5分
- 14:17都立滝山公園の解説板氏照と滝山城の歴史
※時刻は当日撮影した写真の記録によるものです。









