【現地レポート】姉妹観音と「不忘」の碑(高崎市倉渕)|小栗上野介(忠順)の権田村隠棲の陰の悲劇、行き方と駐車場

群馬県高崎市倉渕町の相間川(あいまがわ)のほとりに、二体の観音像が寄り添うように立っています。姉妹観音です。2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公・小栗上野介忠順が権田村に移り住んだ慶応4年(1868年)、その陰で起きた悲劇を伝える場所です。

この記事は、これから姉妹観音を訪ねる方のための現地ガイドです。私たち夫婦が実際に訪ねて確かめた、行き方、駐車場、足元、そして行く前に知っておいてほしいことをまとめました。

寄り添う二体の観音像と碑
寄り添う二体の観音像と碑
目次

姉妹観音の基本情報

所在地 群馬県高崎市倉渕町岩氷19-1付近(高崎市の案内による)。相間川のほとり
見学 自由・無料
目印 大河ドラマ「逆賊の幕臣」の旗。カーナビどおりに行けばすぐ分かる
駐車場 あり・3〜4台ほど
観音像まで 駐車場から歩いて1分ほど。足元は問題なし(雨の日は少し悪くなるかも)
トイレ なし。東善寺で済ませておくと安心

行く前に知っておきたいこと

なぜここに姉妹観音が建てられたのか

姉妹観音は、小栗家の用人(家老にあたる家臣)・塚本真彦の家の、幼い女の子二人をまつった観音像です。行く前に、碑がどういういきさつで建てられたのかを知っておくと、この場所の重みがまったく違って感じられます。

姉妹観音の碑に書かれていること
幕末動乱の嵐は、この倉渕の里にも吹き荒れ、多くの犠牲者を出しました。小栗家の用人・塚本真彦の家族は、権田村での探索を逃れ、七日市藩の縁者を頼って脱出する途中、幼い女の子二人が慶応4年閏4月7日、相間川の淵に沈められて命を落としました。近年この悲惨な事実がわかり、百二十六回忌にあたって姉妹の観音像を建て、その霊を慰めるものです。(平成5年10月 小栗上野介顕彰会)

塚本家の悲劇は、これだけではありませんでした。東善寺の家臣の墓の説明板によると、真彦の母ミツと、真彦の長女で7歳ぐらいだったチカも、七日市へ向かう途中、地蔵峠付近の山中で4月8日に自害しています。そして真彦自身は、高崎城内で小栗の養子・又一とともに斬首されました。一つの家族が、わずか数日のうちにばらばらに命を落としたのです。

入口の「不忘」の碑 ― 打ちこわしで犠牲になった村人

入口の近くには、「不忘」と大きく刻まれた新しい碑があります。小栗が江戸から権田村に移り住んだのに伴って起きた打ちこわし騒動で犠牲になった村人、丸山源兵衛、塚越市右衛門、塚越九兵衛、滝沢助五郎、原田銀八の5人を悼むもので、令和8年(2026年)4月に小栗上野介顕彰会が建てたものです。

小栗は勘定奉行だったことから「江戸城の金貨を持ち帰った」と言いふらされ、その噂を信じた暴徒が押し寄せたといわれています。小栗の評判を落とすために流された、根も葉もない噂だったようです。この噂はのちに、赤城山の徳川埋蔵金伝説にもつながっていきます。

運営者のひとこと
暴徒たちは、小栗とは何の関係もない村の人々にまで危害を加えようとしていました。それだけ世の中が乱れていたということです。小栗ひとりの悲劇ではなく、権田村の多くの人の命が巻き込まれたことを、この場所が教えてくれます。

姉妹観音への行き方

カーナビどおりに行けば、すぐに分かります。まわりには何もないので、ゆらゆらとはためく大河ドラマの旗がいい目印になります。

駐車場は3〜4台ほど。車を停めれば、観音像までは歩いて1分ほどです。足元は問題ありませんでしたが、雨の日は少し悪くなるかもしれません。

ここは見逃さないで

まず、看板(碑)に書かれた説明文をじっくり読んでください。上で紹介した文章です。何も知らずに観音像だけを見ると「かわいらしい観音さま」で終わってしまいますが、説明文を読むと、この二体がなぜ寄り添っているのかが分かります。

そしてもう一つは、すぐそばを流れる相間川のせせらぎです。幼い姉妹が沈められたのは、この川の淵でした。

姉妹観音の雰囲気

静寂のなかに、川の音だけが聞こえる場所でした。いまは目の前に大きな施設が建っていますが、当時はふだん人の気配もないような、ひっそりとした場所だったのだろうと思います。私たちが訪ねたときは、ほかに誰もいませんでした。

よくある質問

Q.場所はすぐ分かりますか?
A.カーナビどおりに行けばすぐ分かります。まわりに何もないので、大河ドラマの旗が目印です。

Q.駐車場はありますか?
A.3〜4台ほど停められます。観音像までは歩いて1分ほどです。

Q.トイレはありますか?
A.ありません。近くの東善寺で済ませておくと安心です。

Q.姉妹観音は誰をまつっているのですか?
A.小栗家の用人・塚本真彦の家の幼い女の子二人です。慶応4年閏4月7日、相間川の淵に沈められて命を落としました。平成5年、百二十六回忌にあたって小栗上野介顕彰会が観音像を建てています。

Q.「不忘」の碑は何ですか?
A.小栗が権田村に移り住んだのに伴って起きた打ちこわし騒動で犠牲になった村人5人を悼む碑です。令和8年4月に建てられました。

あわせて回るなら

小栗ゆかりの倉渕を回るなら、姉妹観音をいちばん最初に訪ねるのがおすすめです。小栗が権田村に来たことで、まわりの人々にどれほどのことが起きたのかを知ってから、終焉の地の水沼河原や、小栗が眠る東善寺を訪ねると、見えてくるものが違ってきます。

水沼河原(終焉の地) 高崎市倉渕町水沼。小栗が斬られた烏川の河原。水沼河原の現地レポート
東善寺 高崎市倉渕町権田169。小栗が眠る寺。東善寺の現地レポート
観音山(小栗邸跡) 高崎市倉渕町権田3584。小栗が屋敷を建てようとしていた山。山頂に4台ほど・トイレなし。観音山の現地レポート
小栗又一の墓 高崎市下斎田町335。塚本真彦が又一とともに斬られた高崎の地。駐車2〜3台・トイレなし
姉妹観音の歴史をもっとくわしく
この記事は、これから訪ねる人のための案内です。姉妹観音と不忘碑の歴史そのものは、姉妹サイト「幕末歴史ガイド」の姉妹観音と不忘碑とは ― 小栗上野介の権田村隠棲の陰の悲劇でくわしく解説しています。
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