車を使わない一日でした。都営地下鉄だけで、泉岳寺から板橋、そして押上のスカイツリーまで。夫婦二人の電車旅です。
回ってみて気づいたのは、この日に訪ねた二つの墓所が、どちらも生き残った人が、死んだ人のために建てた場所だったということでした。四十七士は切腹し、近藤勇は斬首されました。どちらも公式には罪人として死んでいます。それでも三百年、百五十年たったいまも、線香が絶えない。写真はすべて運営者が現地で撮影したものです。
この旅の行程
| 時刻 | スポット・行程 | 見どころ・メモ |
|---|---|---|
| 09:30 | 泉岳寺(赤穂義士墓所) | 四十七士の墓と赤穂義士記念館。都営浅草線「泉岳寺」駅から徒歩約2分 |
| 移動:都営線で約30分(三田で乗り換え) | ||
| 11:00 | 近藤勇・土方歳三の墓 | 板橋刑場跡。永倉新八が明治九年に建てた墓碑と、埋葬当初の墓石。都営三田線「新板橋」駅から徒歩約5分 |
| 移動:都営線で約35分(神保町・東日本橋で乗り換え) | ||
| 12:20 | 東京スカイツリー | 展望デッキから隅田川と本所。都営浅草線「押上(スカイツリー前)」駅直結 |
高輪 ― 四十七士が眠る寺
泉岳寺 ― 吉良邸から、ここまで歩いてきた
都営浅草線の泉岳寺駅を出て、坂をすこし上がると山門があります。高輪という土地はいまや高層ビルの街ですが、門をくぐると空気が変わる。境内の奥、石段を上がった先が義士の墓所です。
石橋を渡って墓所に入ると、まず目に入るのが線香の煙でした。参拝者が絶えず束で供えていくので、あたり一面が白くけむっている。ここはいまも線香を焚き続けている墓なのだということが、匂いで先に分かります。
主君・浅野長矩の墓の前に立ったとき、妻がふと言いました。「吉良邸から、ここまで歩いてきたんだよね」と。
元禄十五年十二月十四日の深夜、四十七人は本所松坂町の吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首を取りました。そしてその首を持って、まっすぐこの泉岳寺まで歩いてきたのです。両国から高輪まで、いまの地図で追っても十キロを優に超える道のりです。しかも真冬の明け方。しかも手傷を負った者もいたはずです。
電車で来ると、両国から泉岳寺までは三十分もかかりません。その距離を、雪の残る夜明けに、血のついた装束のまま歩いた。そして着くなり、この墓の前に首を供えて報告した。墓前に立って初めて、あの十キロの意味が体に入ってきました。あれは逃走ではなく、行進だったのだと思います。
四十七の墓が並ぶということ
墓所の入口に「赤穂四十七義士名簿」という長い掲示が出ていて、戒名と俗名が対で並んでいました。眺めていて気づいたのは、全員の戒名に「刃」の字が入っていることです。冷光院殿吹毛玄利大居士——これが浅野長矩。忠誠院刃空浄剱居士——これが大石内蔵助。そして以下、刃仲光剱信士、刃峰毛剱信士、刃勘要剱信士……と、四十七人ぶん「刃」が続いていく。
刀で死んだ者たちに、刀の字を与えて送り出した。名簿の一列を目で追っているだけで、なかなかのものがあります。
墓所は、四十七基の墓石が塀に囲まれてぐるりと並ぶ形をしています。一基ずつに木の墓標が立っていて、名前と、亡くなったときの年齢が書かれている。小野寺幸右衛門、行年二十八歳。前原伊助、行年四十歳。歩きながら数字を追っていくと、若い人が多いことに気づきます。
われわれは線香を買って、一基ずつ供えていきました。そして――正直に書きますが――それぞれ推しの志士の墓の前では、少し多めに線香をあげました。四十七基もあると、不思議なもので足が止まる墓とそうでない墓が出てきます。名前を知っている人、物語で好きになった人。妻と私では止まる場所が違っていて、それがまた面白かった。
四十七人は、討ち入りのあと四家に預けられ、翌年に全員が切腹しています。公式には罪人としての死です。それが三百年以上たったいまも、こうして一基ずつに線香が供えられ、春と冬には義士祭の幟が立つ。この日も、赤い幟が風に揺れていました。
板橋 ― 永倉新八が建てた墓
近藤勇の像と、処刑の地
泉岳寺から都営線を乗り継いで、北へ。板橋の駅前に、その墓所はあります。
着いてまず驚くのは、場所の普通さです。駅を出てすぐ、道路に面した一角。背後には医院の看板が出ていて、エアコンの室外機が並び、上の階には洗濯物の見えそうな窓がある。完全に、生活のなかにあります。泉岳寺の、門をくぐって空気の変わるあの静けさとは、まるで対照的でした。
ここは板橋の刑場跡です。慶応四年、近藤勇は流山で新政府軍に投降し、この板橋に送られて、斬首されました。武士としての切腹すら許されず、罪人としての処刑です。首は京都へ送られてさらされました。
敷地には近藤勇の銅像が立っています。刀を手にして、まっすぐ前を見ている。そのすぐ脇に、木の標柱で「近藤勇埋葬当初の墓石」と示された、ごつごつした石が置かれていました。最初に埋められたときの、その石だそうです。飾りも彫りもない、ただの自然石でした。
生き残った男が、死んだ二人を石に並べた
敷地の中央に立つ大きな墓碑を読んで、思わず声が出ました。
「近藤勇 宜昌 土方歳三 義豊 之墓」
近藤と土方が、一つの石に並んで刻まれているのです。ところが土方歳三は、ここでは死んでいません。近藤の処刑から一年あまり後、土方は函館の五稜郭で戦って死んでいます。この石の下に、土方の骨はないのです。
ではなぜ二人の名が並んでいるのか。この墓を建てたのが、永倉新八だからです。
永倉新八は新選組の二番隊組長で、近藤とは袂を分かちながらも生き延びた男です。維新後は名を杉村義衛と改め、松前藩医の家に入りました。その永倉が、明治九年、同志とともにこの地に墓を建てたのです。賊軍として斬られた男の墓を、新しい世の中になってから、わざわざ建てた。
そして彼は、その石に近藤と土方を並べて刻んだ。京都で首をさらされた男と、函館で死んだ男。ばらばらの場所で、ばらばらに死んだ二人を、生き残った一人が石の上でようやく並べたわけです。碑の側面には、ほかの隊士たちの名も刻まれているといいます。
墓前には、この日も花が供えられていました。色とりどりの造花が二対と、線香立て。医院の看板と室外機に囲まれたその一角だけ、いまも誰かが通ってきていることが分かる整い方をしていました。
別々の日に、別々の気持ちで訪ねた二か所が、実は一本の線でつながっていた。流山が「終わりの始まり」で、この板橋が「終わり」です。順番に訪ねると、あの数日間の速さがよく分かります。
押上 ― 六百三十四メートルの塔
スカイツリーを見上げる
板橋から都営線でまっすぐ南東へ。この日の最後は押上、東京スカイツリーです。
墓を二か所まわったあとに来ると、この塔の明るさが際立ちます。真下から見上げると、白い鉄骨が編み目のように空へ吸い込まれていって、首が痛くなるまで見上げてもてっぺんが遠い。六百三十四メートル。この日は鯉のぼりが泳いでいて、鉄骨の格子の向こうを、白と橙の魚が風に膨らんでいました。
足元のソラマチでお茶をして、それから展望台へ上がりました。
展望台から見た、歩いてきた地面
上に着いて窓に寄ったとき、思ったことがあります。
眼下を隅田川が大きく曲がっていました。橋がいくつも架かり、その向こうに街がびっしり詰まっている。そして——この川のすぐ向こうが、本所です。吉良邸があった場所です。
つまり、この日の朝に泉岳寺で「ここまで歩いてきたのか」と思ったその出発点が、いま足の下に見えているわけです。四十七人が首を提げて歩いた道筋を、六百三十四メートルの高さから、まるごと見下ろしている。
彼らが歩いたのは、この地面です。板橋で近藤勇が斬られたのも、この視界のどこか北の端です。三百年前の朝も、百五十年前の春も、同じ平らな土地の上で起きた。その上に、いまこの塔が立っている。
展望台というのは景色を見る場所ですが、この日にかぎっては時間を見下ろす場所になりました。
都営地下鉄ワンデーパスは大人500円・小児100円。都営地下鉄が一日乗り放題です。ただし通年ではなく、春・夏・秋・冬の期間限定で、土日祝を中心に発売されます。かつては常時あったので「無くなった」と思っている方も多いのですが、いまも季節ごとに出ています。
通年で買えるのは都営まるごときっぷで、大人700円・小児350円。こちらは都営地下鉄に加えて都営バス・都電荒川線・日暮里舎人ライナーまで乗り放題です。二百円の差でバスと都電が付くので、寄り道するならこちらが便利です。
ひとつ注意点。ワンデーパスは押上駅では発売していません(ほかに目黒・白金台・白金高輪・新宿線新宿も除外)。スカイツリーから出発しようとすると買えないので、泉岳寺側から始めるのが正解です。
実際に歩いて感じたこと
帰りの電車で考えていたことを、三つ書いておきます。
ひとつめ。この日に訪ねた二つの墓は、どちらも「建ててもらった墓」でした。四十七士は罪人として切腹し、近藤勇は罪人として斬られた。当時の公の扱いでいえば、立派な墓が建つ立場ではありません。それでも泉岳寺には四十七基が並んで祀られ、板橋には永倉新八が石を建てた。負けた人の墓は、勝った人がつくるのではなく、残された人がつくる。そのことを二か所続けて見た一日でした。
ふたつめ。場所の空気がまるで違いました。泉岳寺は門をくぐると別世界で、線香の煙が絶えず、観光客も多い。かたや板橋は駅前の生活道路のわきで、医院の看板と室外機に囲まれている。同じ「英雄の墓」でも、片方は聖域になり、片方は街に飲み込まれた。ただ、どちらにも同じように花と線香がありました。整えられ方が違うだけで、通ってくる人がいることに変わりはない。むしろ板橋のあの生活感のほうが、私にはこたえました。
みっつめ。スカイツリーを最後に持ってきたのは、結果的に正解でした。行程を組んだときは「せっかく都営線一日券を買ったのだから」くらいの気持ちだったのですが、展望台の窓から隅田川と本所の方角が見えた瞬間に、この日ぜんぶがつながりました。墓を見て、地面を歩いて、最後にその地面を上から見る。歴史の旅の締めくくりとして、これ以上の場所はなかなかありません。
同じルートを歩く方へ、ひとつだけ。泉岳寺では線香を惜しまないほうがいいです。四十七基あるので、少ししか買わないと途中で足りなくなります。そして急がないこと。名前と年齢を一基ずつ読んでいくと、思っていたより時間がかかりますが、その時間こそがこの墓所の値打ちだと思います。
この旅の道のり
- 09:30泉岳寺(赤穂義士墓所)四十七士の墓と赤穂義士記念館。都営浅草線「泉岳寺」駅から徒歩約2分都営線で約30分(三田で乗り換え)
- 11:00近藤勇・土方歳三の墓板橋刑場跡。永倉新八が明治九年に建てた墓碑と、埋葬当初の墓石。都営三田線「新板橋」駅から徒歩約5分都営線で約35分(神保町・東日本橋で乗り換え)
- 12:20東京スカイツリー展望デッキから隅田川と本所。都営浅草線「押上(スカイツリー前)」駅直結
※この時刻は標準的な滞在時間から組んだモデル的な目安で、当日の実際の記録ではありません。移動時間も一般的な所要時間です。












