【現地レポート】蜂須賀家屋敷跡(江南市)|蜂須賀小六が住んだ宮後城跡と説明板

【現地レポート】蜂須賀家屋敷跡(江南市)|蜂須賀小六が住んだ宮後城跡と説明板

愛知県江南市の蜂須賀家屋敷跡(はちすかけやしきあと)は、秀吉の家臣として知られる蜂須賀小六(正勝)が、母の実家である安井氏のもとに移り住んだ屋敷の跡です。もとは「宮後城」と呼ばれた城でした。いまは県道沿いに石碑と説明板が立つだけの小さな史跡です。

この記事は、これから行く方のための現地ガイドです。私たちが見たことと、現地の説明板に書かれていることをまとめました。

石碑と説明板
石碑と説明板
目次

基本情報

所在地 愛知県江南市宮後町(宮後城跡)
見られるもの 石碑と説明板(江南市観光協会)
駐車場 ありませんでした
トイレ ありませんでした

行く前に知っておきたいこと

説明板によると、昭和43年頃までは外堀や古井戸が残っていましたが、都市化で跡は残っていません。現地にあるのは石碑と説明板だけです。駐車場もトイレもありません。

現地のようす

説明板に書かれていること(蜂須賀家屋敷跡(宮後城跡)・江南市観光協会)
宮後八幡社の境内を含め、東西六十間・南北八十間(一間は約一・八m)という広大な屋敷であった。この屋敷は旧宮後城で土岐氏が美濃・尾張を領有していた応永(一三九四〜一三九八)のころ尾張を治める要地として安井氏が守っていた城であった。
天文年間の後半、蜂須賀小六は母が安井氏の娘であったので故あって母の在所に住むことになり、木曽川の川並を支配した。尾張国地名考に宮後村は「この村に蜂須賀小六の屋敷跡あり」と記し、昭和四十三年頃までは「小六屋敷」といわれ、外堀・古井戸も残っていたが都市化の波に抗しきれずその跡もない。今は県道江南・犬山線沿いに「蜂須賀家政公生誕地」という石碑が残っているのみである。
蜂須賀氏のほかに、戦国時代の武将浅野長政は安井弥兵衛の長子としてここで生れているという。後に叔父の浅野又右衛門の養子となり、ねね(秀吉の室)の妹ややを妻とした。(武功夜話・張州府志より)

石碑の文字は摩耗していて、写真からは読み取れませんでした。

運営者のひとこと
あれだけの人物にしては、ひっそりと石碑と看板だけがありました。

少し移動したところにあるお寺の庭には、蜂須賀家政公の名を刻んだ大きな石もありました(お寺の名前は確認できていません)。

蜂須賀家政公の名を刻んだ石(近くのお寺の庭)
蜂須賀家政公の名を刻んだ石(近くのお寺の庭)

蜂須賀小六(正勝)とはどんな人か

蜂須賀小六は、本名を蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)といい、大永6年(1526)に生まれ、天正14年(1586)に亡くなりました。通称が小六で、のちに彦右衛門尉と名乗っています。生まれは尾張国海東郡の蜂須賀村(いまのあま市)で、その地の土豪の家の出身です。

はじめは美濃の斎藤道三に仕え、のちに織田氏に属して、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に従うようになりました。秀吉が美濃攻めで墨俣に砦を築いたとき、これに加わったと伝えられています。

その後は秀吉のほとんどの戦いに加わりました。姉川の戦いや浅井氏の小谷城攻めに従い、秀吉が近江長浜の城主になると、その家老として支えています。中国攻めでは毛利氏との戦いに加わり、天正9年(1581)には播磨の龍野城主(5万3000石)になりました。本能寺の変のあとも、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、四国攻めに従い、毛利氏との講和のあとには、領地の境目を決める交渉でも働いたとされています。

天正13年(1585)の四国攻めのあと、秀吉は小六に阿波一国を与えようとしましたが、小六は年をとっていることや、秀吉のそばを離れたくないことを理由に辞退し、子の家政が阿波に入りました。小六は翌天正14年、大坂の屋敷で亡くなっています。

子の蜂須賀家政と「蜂須賀家政公生誕地」の碑

小六の跡を継いだ蜂須賀家政(いえまさ)は、永禄元年(1558)の生まれです。四国攻めのあと阿波国17万6000石を与えられ、のちの徳島藩の初代藩主となりました。亡くなったのは寛永15年(1639)です。

説明板によると、この宮後には「蜂須賀家政公生誕地」の石碑が立っています。一方で、家政は蜂須賀村で生まれたとする資料もあり、生まれた場所については書き方が分かれています。

なぜ宮後に住んだのか

説明板によると、宮後はもともと安井氏が守っていた「宮後城」で、小六の母は安井氏の娘でした。天文年間の後半、小六は母の実家であるこの宮後に移り住み、木曽川の川並を支配したといいます。

同じ説明板には、秀吉の妻・ねねの妹ややを妻とした浅野長政も、安井弥兵衛の長男としてこの地で生まれたと書かれています(武功夜話・張州府志による)。宮後は、秀吉を支えた二人の武将にゆかりのある場所ということになります。

参考:日本大百科全書(ニッポニカ)・ブリタニカ国際大百科事典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典+Plus「蜂須賀正勝」(コトバンク)/サライ.jp「蜂須賀家政」/現地の説明板(江南市観光協会)

よくある質問

Q.蜂須賀家屋敷跡に駐車場はありますか?
A.ありませんでした。トイレもありません。

Q.屋敷の遺構は残っていますか?
A.説明板によると、昭和43年頃までは外堀・古井戸が残っていましたが、いまは跡もありません。

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