【現地レポート】長久手古戦場(長久手市)|勝入塚・庄九郎塚・武蔵塚と記念館、駐車場と御城印

【現地レポート】長久手古戦場(長久手市)|勝入塚・庄九郎塚・武蔵塚と記念館、駐車場と御城印

愛知県長久手市の長久手古戦場(ながくてこせんじょう)は、天正12年(1584)4月9日、徳川家康・織田信雄の軍と羽柴秀吉方の別働隊がぶつかった「長久手の戦い」の主戦場です。いまは「古戦場公園」として整備され、池田恒興の勝入塚、長男・元助の庄九郎塚、少し離れて森長可の武蔵塚が残っています。公園の中には新しい長久手古戦場記念館があり、御城印もここで買えます。

この記事は、これから行く方のための現地ガイドです。私たちが実際に歩いて見たことと、現地の説明板に書かれていることをまとめました。

長久手古戦場記念館
長久手古戦場記念館
目次

長久手古戦場の基本情報

所在地 愛知県長久手市武蔵塚(古戦場公園・長久手古戦場記念館)
見られるもの 勝入塚・庄九郎塚(公園内)、長久手古戦場記念館。近くに武蔵塚・長久手城址
記念館 9:00〜17:00(展示室入場は16:30まで)。火曜休館(祝・休日の場合は開館し、翌平日休館)、12/28〜1/4休館(パンフレットによる)
入館料 大人(高校生以上)400円(常設展示期間)。企画展開催時は公式サイトで確認を。中学生以下無料(パンフレットによる)
駐車場 工事中で、私たちが行ったときは10台くらいでした
トイレ 公園なので万全
電車 リニモ「長久手古戦場」駅から北西へ徒歩3分(パンフレットによる)
御城印 記念館の売店で入場券と一緒に。「合戦古戦場印」500円、「長久手城」300円

行く前に知っておきたいこと

長久手の戦いは、小牧・長久手の戦いのなかで唯一の大きな合戦です。秀吉方の別働隊が家康の本拠・岡崎を突こうとして南へ向かい、途中で岩崎城を攻め落としたあと、追いついた家康軍とこの長久手でぶつかりました。岩崎城(日進市)を先に見てから来るか、ここを見てから岩崎城へ回ると、戦いの流れがつかみやすくなります。私たちは長久手を見てから岩崎城へ向かいました。

記念館の上映映像は斬新でした。上から見下ろしたような地図の上で、各軍の動きと合戦が示されるので、戦いの流れがものすごくよく分かりました。

説明板に書かれていること(国指定史跡 長久手古戦場・長久手市教育委員会)
天正10年(1582)6月、織田信長が家臣 明智光秀の手にかかり本能寺に倒れました。残された遺児や家臣の中で後継者争いが起こると、最初に駆け出したのは羽柴秀吉でした。秀吉は明智光秀を討ち(山崎の戦い)、柴田勝家を破り(賤ケ岳の戦い)、次第に天下統一への階段を昇りつめていきます。
こうした中で、信長の次男 信雄は、日に日に強大になる秀吉の勢力に身の危険を感じるようになり、織田信長の同盟者であった徳川家康に助けを求めました。家康は、いつかは秀吉と対決せねばならないと考えていたので、これを承諾します。
天正12年(1584)3月、ついに秀吉軍と家康・信雄連合軍は、ともに兵を挙げました。両軍はしばらく小牧でにらみ合いましたが、先に動いたのは秀吉軍でした。家康の拠点の岡崎を攻めるために三好信吉(後の豊臣秀次)を総大将とした別働隊を送りましたが、その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日、まさにこの長久手の地で激しい戦闘が起こったのです。
この日の戦いは家康軍の勝利に終わりましたが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立しました。
合戦後、長久手では戦死者を手厚く葬り、武将の塚を築くなどこの戦いについて連綿と語り継がれていきます。昭和14年(1939)、合戦当時の地形を今に伝える点が評価され、主戦場跡地が国指定史跡地に指定されました。この地は現在「古戦場公園」として整備され、市内各地には住民達が大切に守りつないできた史跡が今も数多く残されています。
(板の地図には、勝入塚・庄九郎塚・武蔵塚・御旗山・堀久太郎秀政本陣地跡・首塚・長久手城址・色金山が示されています)
長久手古戦場の総合説明板
長久手古戦場の総合説明板

歩き方

勝入塚 ― 池田恒興の戦死地

公園に入ると、大きな碑と石柱が並ぶ一角があります。秀吉方の別働隊を率いた池田恒興(勝入斎)が戦死したと伝わる場所です。

説明板に書かれていること(国指定史跡 長久手古戦場 勝入塚・長久手市教育委員会)
池田恒興(1536〜84、庄三郎、信輝、勝入斎)の戦死地と伝えられています。恒興は美濃(岐阜県)大垣城主で、小牧・長久手の戦いの時は秀吉に味方しました。この戦いの中、小牧山(小牧市)と楽田(犬山市)で家康と秀吉が対峙した時、家康の本拠地の岡崎攻めを秀吉に進言し、自ら軍を率いて進行しました。しかし、途中で岩崎城(日進市)を攻めるのに手間取り、家康軍先遣隊に追撃の機会を与えてしまいます。結局この地で家康の本隊と会い、仏が根の戦いで戦死しました。
恒興は、天正8年(1580)入道し、勝入斎と名乗りました。塚名はこの法名にちなむものです。この塚の大きな「明治の碑(刻銘:勝入池田公戦死埊)」は、明治24年(1891)に恒興の子孫が建てました。その左横の石柱「明和の碑(刻銘:池田勝入信輝戦死場)」は、明和8年(1771)尾張藩士人見弥右衛門と赤林孫七郎が古戦場を訪れた際に建てたものです。

庄九郎塚 ― 長男・池田元助の戦死地

勝入塚のすぐ近くに、恒興の長男・元助の庄九郎塚があります。親子がほぼ同じ場所で討たれたことになります。

説明板に書かれていること(国指定史跡 長久手古戦場 庄九郎塚・長久手市教育委員会)
池田元助(1564〜84、庄九郎、之助、紀伊守)の戦死の場所と伝えられています。元助は池田恒興の長男で岐阜城主、小牧・長久手の戦いの時は、父に従って参戦しました。父や義兄(森長可)とともに家康の本拠地である岡崎奇襲を企てましたが失敗し、仏が根の戦いで戦死しました。残された一子元信は、秀吉の馬廻に取り立てられ、その後秀頼に仕えましたが、大阪城落城前には池田輝政(元助の弟)の家来になりました。塚名は、元助の幼名庄九郎にちなんで名付けられたものです。
勝入塚と同じく、明治24年(1891)に恒興の子孫が建てた「明治の碑(刻銘:紀伊守池田公戦死埊)」、明和8年(1771)、尾張藩士人見弥右衛門と赤林孫七郎が古戦場を訪れた際に建てた「明和の碑(刻銘:池田紀伊守之助戦死場)」があります。

公園の中で見かけたもの

説明板に書かれていること(長久手の棒の手の碑)
表に「愛知県指定無形民俗文化財 長久手の棒の手」(愛知県棒の手保存連合会会長 桑原幹根書)。
棒の手は愛知県が全国に誇る郷土芸能として各地で伝承されています。その中でも長久手町内に現存する起倒流・見当流・検藤流などの流派は、尾張・西三河に大きな影響を与えてきました。こうした歴史をもつ長久手の棒の手は、昭和三十一年六月二十一日愛知県無形民俗文化財の指定を受け、本年三十周年を迎えました。これを記念して、ここに碑を建立し、棒の手の保存伝承に一層の精進を尽くすことを決意するものです。
(流派名の一部は写真では読み取りにくく、ここでは読めたものだけを書いています)

長久手古戦場記念館

記念館は真新しい建物でした。上映映像では、上から見たような地図の上に各軍の動きと合戦が表示され、どの軍がどう動いたのかがとてもよく分かります。

武蔵塚と長久手城址(少し離れた場所)

記念館から少し離れたところに、森長可の武蔵塚と、長久手城址があります。どちらも駐車場もトイレもありません。公園で済ませてから行くのがおすすめです。

説明板に書かれていること(国指定史跡 長久手古戦場 武蔵塚・長久手市教育委員会)
森長可(1558〜84、武蔵守)の戦死の場所と伝えられています。長可は美濃(岐阜県)金山城主で、天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いの時は、秀吉に味方しました。舅 池田恒興らとともに、家康の拠点である岡崎を突こうとして失敗し、4月9日の仏ケ根の戦闘で戦死しました。長可は天正10(1582)年の本能寺の変で、信長とともに落命した蘭丸の兄で、勇猛果敢な武将として知られています。塚名は、長可の異名鬼武蔵にちなんで名付けられたものです。

長久手城とはどんな城か

長久手城は、加藤忠景(かとう ただかげ)の城でした。御城印にも「市指定史跡 加藤忠景の居城」と書かれています。

城の歴史を紹介する資料によると、ここにはもともと15世紀の初めごろの館があり、16世紀の中ごろに加藤忠景が城として整えて住んだとされています。忠景は家康方で、小牧・長久手の戦いでは、岩崎城の丹羽氏重を助けに入りました。

岩崎城の「表忠義」碑の説明板には、碑の裏に刻まれた討死者として「長湫城主・加藤景常(四十二才)」の名が挙げられています(「長湫」は長久手の古い書き方です)。岩崎城の展示パネルでも、城主・丹羽氏次は弟の氏重と姉婿の加藤景常に城の留守を任せた、と書かれています。資料によって「忠景」「景常」と名前の書き方が違いますが、長久手城の城主が岩崎城で池田恒興の軍と戦って討死したことは共通しています。

長久手城は、長久手の戦いのときに秀吉方の軍によって焼かれたとされ、いまは城の遺構は残っていません。住宅地の一角に、石碑と案内が立っています。

参考:Japan Castle Explorer「Nagakute Castle」/岩崎城の「表忠義」碑の説明板・展示パネル/長久手城の御城印

御城印

記念館の売店で、入場券と一緒に買いました。長久手古戦場の「合戦古戦場印」は500円、長久手城の御城印は300円です。長久手城の御城印には「市指定史跡 加藤忠景の居城」と書かれています。

よくある質問

Q.長久手古戦場に駐車場はありますか?
A.あります。ただ、私たちが行ったときは工事中で、停められるのは10台くらいでした。

Q.御城印はどこで買えますか?
A.長久手古戦場記念館の売店です。私たちは入場券と一緒に買いました。合戦古戦場印は500円、長久手城は300円でした。

Q.武蔵塚や長久手城址に駐車場はありますか?
A.どちらも駐車場とトイレはありませんでした。

Q.記念館は見る価値がありますか?
A.上映映像で各軍の動きが地図の上に示されるので、戦いの流れがとてもよく分かりました。

あわせて回るなら

岩崎城 日進市。秀吉方の池田恒興隊が攻め落とした城。岩崎城の現地レポート
小牧山城 小牧市。家康・信雄が本陣を置いた城。小牧山城の現地レポート
楽田城跡 犬山市。秀吉が本陣を置いた城。楽田城跡の現地レポート
  • URLをコピーしました!
目次