愛知県長久手市の長久手城跡(ながくてじょうあと)は、戦国時代の武将加藤太郎右衛門忠景(かとう ただかげ)の城の跡です。忠景は徳川方の岩崎城主・丹羽氏次の姉婿で、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは岩崎城に入り、秀吉方の池田恒興の軍と戦って討死しました。長久手城もこのとき焼かれ、いまは住宅地の一角に石碑と観音堂が残るだけです。
この記事では、城の歴史と城主のこと、その後と現在のようすを、現地で見たことと資料をもとにまとめます。

長久手城跡の基本情報
| 所在地 | 愛知県長久手市城屋敷(長久手市観光交流協会の案内では城屋敷2408番地) |
|---|---|
| 指定 | 長久手市指定史跡 |
| 見られるもの | 「長久手城跡」の碑、観音堂、文化6年(1809)の石標など。城の遺構は残っていない |
| 駐車場 | ありませんでした |
| トイレ | ありませんでした |
| 御城印 | 長久手古戦場記念館の売店で、入場券と一緒に。300円 |
長久手城の始まり
長久手城は、天守のある近世の城ではなく、守りのための城と、城主一族が住む館をかねた中世の城館でした。
地元の資料によると、この地にはもともと斎藤氏の古い城がありました。16世紀の中ごろ、瀬戸の土豪だった加藤忠景がこの古城を修築して移り住み、城館としたといいます。小牧・長久手の戦いの約30年前のことです。
城は空堀で東西に分かれていて、東の本丸が約400坪、西の二の丸が約250坪あったと伝わります。二の丸の南に大手の門があり、入口の近くには高さ2mほどの物見の小山があったそうです。城は、御旗山に向かう斜面の途中、崖の上にあったとみられています。
城主・加藤忠景 ― 丹羽氏の姉婿
加藤忠景は天文12年(1543)の生まれとされます。岩崎城主・丹羽氏次の姉を妻に迎えていて、近くの地侍とも縁を結んでいたと伝えられています。
岩崎城の展望台の展示には、小牧・長久手の戦いのとき、丹羽氏次は家康の命で守るはずだった岩崎城の留守を、弟の氏重と姉婿の加藤景常に任せて小牧山に参陣した、と書かれています。資料によって「忠景」「景常」と名前の書き方が違いますが、同じ長久手城主のことです。
小牧・長久手の戦い ― 岩崎城での討死と、焼かれた長久手城
天正12年(1584)4月9日の早朝、家康の本拠・岡崎をめざす秀吉方の別働隊が、岩崎城の前にさしかかりました。先鋒の池田恒興の軍に対し、岩崎城の城兵は打って出て戦います。
忠景は、16歳の城代・丹羽氏重とともに城を守りましたが、城は落ち、忠景も討死しました。岩崎城の「表忠義」碑の説明板には、碑の裏に刻まれた討死者として「長湫城主・加藤景常(四十二才)」の名が挙げられています(「長湫」は長久手の古い書き方です)。
同じ朝、主のいない長久手城も、秀吉方の軍によって焼き討ちにされたと伝えられています。その日のうちに、城の近くは長久手の戦いの激戦地になりました。城はこのあと再建されることなく、廃城になったとみられています。
岩崎城の戦いについては、岩崎城の現地レポートでくわしく書いています。
その後 ― 子孫が建てた石標と、長久手観音
戦いのあと、城跡は荒れたままになり、江戸時代には城の形もかなり崩れていきました。
文化6年(1809)、忠景の子孫にあたる尾張藩士がこの地を訪れ、石標を立てて先祖を供養しました。正面には「加藤太郎右衛門忠景宅趾」と刻まれているそうです。
また、地元には「長久手観音」の言い伝えが残っています。観音は忠景の守り神で、戦いのあと、一族の女性たちが土塁の中に隠しましたが、行方が分からなくなりました。江戸時代に子どもが見つけ、のちに夢のお告げで城跡に祀られたといいます。昭和7年(1932)にお堂が建ち、昭和56年(1981)にいまの観音堂ができました。
現代の長久手城跡
昭和56年(1981)3月には、旧長久手町の教育委員会が「長久手城跡」の碑を建てました。題字は、尾張徳川家21代当主で徳川美術館の館長だった徳川義宣の筆です。私たちが見たのも、この碑です。
城の遺構は宅地開発で失われ、ほとんど残っていません。ただ、このあたりはいまも「城屋敷(しろやしき)」という地名で、白い漆喰塀や石組みの屋敷風の家が並び、少しだけ城下の雰囲気を感じられます。
御城印
長久手城の御城印は300円です。城跡では売っていません。私たちは、長久手古戦場記念館の売店で入場券と一緒に買いました。「市指定史跡 加藤忠景の居城」と書かれています。

よくある質問
Q.長久手城跡に駐車場はありますか?
A.ありませんでした。トイレもありません。
Q.長久手城の御城印はどこで買えますか?
A.長久手古戦場記念館の売店です。300円でした。
Q.長久手城の遺構は残っていますか?
A.ほとんど残っていません。碑と観音堂、子孫が建てた石標があります。
あわせて回るなら
| 武蔵塚 | 森長可の戦死地。長久手城跡のすぐ近くです。武蔵塚の現地レポート |
|---|---|
| 長久手古戦場 | 勝入塚・庄九郎塚と記念館。長久手古戦場の現地レポート |
| 岩崎城 | 日進市。忠景が討死した城。岩崎城の現地レポート |
参考:長久手市郷土史研究会「長久手城趾」/長久手タイムズ「長久手城趾と『城屋敷』を歩く」/徳川家康公ファンの歴史ブログ「長久手城跡」(現地の案内看板の引用を含む)/長久手市観光交流協会「長久手の城」/岩崎城の「表忠義」碑の説明板・展示



