群馬県安中市の新島襄旧宅(にいじまじょうきゅうたく)は、同志社をつくった新島襄の家族が暮らした、茅葺きの安中藩士の住まいです。新島襄は江戸の安中藩邸で生まれ、21歳で国の禁を破ってアメリカへ渡りました。10年後に帰国した襄が、まっさきに両親をたずねて来たのが、この家です。
わたしは2026年10月、友人と三人で車で訪れました。入館は無料で、説明をしてくれる方もいて、思っていた以上に見ごたえがありました。この記事は、これから新島襄旧宅へ行く方のための現地ガイドです。見て感じたことを、そのまま書きます。

新島襄旧宅の基本情報
| 訪れた日 | 2026年10月 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県安中市安中1-7-30(安中市史跡) |
| 建物 | 木造平屋建て、茅葺きの二軒長屋。半分が旧宅、半分が資料展示室 |
| 開館時間 | 9時〜17時(入館は16時30分まで)。冬期(12月〜2月)は16時30分まで(入館は16時まで) |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始 |
| 観覧料 | 無料 |
| 駐車場 | あり。現地のパンフレットでは約15台(大型バスは不可) |
| トイレ | あり。きれいだった |
| 見学時間 | 説明を聞きながらで30分〜1時間ほど |
行く前に知っておきたいこと
半分が旧宅、半分が資料展示室
建物は茅葺きの二軒長屋で、半分が新島家の旧宅、もう半分が資料展示室になっていました。旧宅のほうでは当時の暮らしの部屋を、展示室のほうでは新島襄の生涯を、写真や資料でたどることができます。
説明をしてくれる方がいる
館内には説明をしてくれる方がいました。畳も古く、柱も当時のままだそうです。こうした話は聞かないと分からないので、時間があれば声をかけてみてください。
月曜は休館
入館は無料ですが、月曜日は休館です(祝日の場合は翌平日)。トイレもあり、きれいでした。

旧宅の中 ― 畳も柱も当時のまま
中に入ると、囲炉裏の間や板の間に、当時の生活道具が置かれていました。説明の方によると、畳も古く、柱も当時のままだそうです。江戸から明治へ移るころの、安中藩の下級武士の家の暮らしが、そのまま残っている感じがしました。



大河ドラマ『八重の桜』(2013年)で出演者が使った小道具も展示されていました。新島襄の妻・八重が主人公のドラマです。

新島襄とこの家
新島襄は天保14年(1843年)、江戸・神田の安中藩邸で生まれました。元治元年(1864年)、函館から密かにアメリカへ渡り、学問とキリスト教を学びます。明治7年(1874年)に帰国すると、すぐに両親の住む安中をたずね、この家に滞在しました。このとき安中で行った話がきっかけとなって、のちに安中教会が生まれます。翌明治8年(1875年)、京都に同志社英学校を開きました。
この家は、江戸の藩邸を引き払った新島家が安中に移って暮らした家です。襄が生まれた家ではありませんが、帰国した襄が家族と再会した場所であり、安中と新島襄を結ぶ原点といえる場所です。
裏手の石碑
旧宅の裏には、石碑が3つ4つ並んでいました。そのひとつ「漆園の記碑」は、安中藩主・板倉勝明が、藩の産業として漆の栽培を勧めたことを伝えるものです。


あわせて歩くなら ― 安中城跡と安政遠足の碑
新島襄旧宅のまわりは、安中藩の城下町です。近くには旧安中藩郡奉行役宅や武家長屋といった茅葺きの建物も残っています。


ただ、安中城跡は、お堀も石垣も土塁すら残っていません。あるのは「本丸跡」の案内や、いくつかの石碑だけです。城跡を目当てに行くと拍子抜けするかもしれないので、石碑めぐりのつもりで歩くのがよいと思います。安中城の御城印も、この日は時間がなく、どこでいただけるのか調べることすらできませんでした。
そのなかで面白いのが安政遠足(あんせいとおあし)の碑です。安政2年(1855年)、安中藩主・板倉勝明が藩士を安中城から碓氷峠の熊野神社まで走らせた鍛錬で、「日本のマラソン発祥の地」とされています。「覗き石」という石には穴があいていて、のぞくと、その先がゴールの碓氷峠・熊野神社を指しているのだそうです。



安中藩と小栗上野介
小栗上野介が好きなわたしにとって、安中藩には少し複雑な思いがあります。慶応4年(1868年)、新政府軍の命令で小栗を捕らえに権田村へ向かったのは、高崎・安中・吉井の藩兵でした。安中藩には、もっと小栗をかばってほしかった、と思ってしまいます。
安中へ向かう途中、車で烏川を何度か渡りました。この川の上流の水沼河原で、小栗は斬られたのだなあ、と思いながら橋を渡りました。
よくある質問
Q.新島襄旧宅は有料ですか?
A.無料です。9時〜17時(冬期は16時30分まで)、月曜休館(祝日の場合は翌平日)です。
Q.駐車場とトイレはありますか?
A.駐車場があります(パンフレットでは約15台、大型バスは不可)。トイレもあり、きれいでした。
Q.新島襄はここで生まれたのですか?
A.生まれたのは江戸・神田の安中藩邸です。この家は、のちに新島家が安中で暮らした家で、アメリカから帰国した襄が両親と再会した場所です。
Q.安中城跡には何が残っていますか?
A.お堀も石垣も土塁も残っていません。「本丸跡」の案内や、安政遠足などの石碑があるだけです。
Q.めがね橋とあわせて回れますか?
A.回れます。わたしたちは翌日、碓氷峠のめがね橋(碓氷第三橋梁)に寄って帰りました。【現地レポート】めがね橋
※開館時間・休館日・駐車場の台数は、2026年10月に現地でいただいたパンフレットによります。お出かけ前に安中市の案内で確かめてください。
