【実録】国宝姫路城と天空の城・竹田城 ― 生野銀山・生野義挙碑、津山城、赤穂城・大石神社から明石城へ|成田発 飛行機2泊3日

千葉県富津市から鋸南町、南房総市、館山市……ではなく、今回は兵庫県姫路市から朝来市、岡山県美作市・津山市、兵庫県赤穂市・明石市へと続く、播磨・美作エリアの旅。2023年5月、成田空港から飛行機で一気に関西入りし、国宝五城のひとつ姫路城、雲海に浮かぶ「天空の城」竹田城、日本三大平山城の津山城、忠臣蔵で知られる赤穂城、現存櫓が残る明石城までを3日間で巡りました。1日目は姫路城から美作三湯のひとつ湯郷温泉へ、2日目は竹田城と生野銀山・生野義挙碑、3日目は津山・赤穂・明石の3城を回って明石焼きを食べ、関西空港から帰るという行程。城好きにはたまらない、国宝から山城、幕末の名残まで一気に味わえる濃密な旅になりました。

目次

この旅のルートと日程

  • 1日目:成田空港 → 姫路城 → 湯郷温泉(泊)(飛行機+車)
  • 2日目:竹田城 → 生野銀山 → 生野義挙碑(兵庫県朝来市)
  • 3日目:津山城 → 赤穂城・大石神社 → 明石城 → 明石焼き → 関西空港(岡山県津山市・兵庫県赤穂市・明石市)

【1日目】成田から姫路城へ、湯郷温泉で一泊

姫路城(日本初の世界遺産、現存12天守最大の国宝)

成田空港から飛行機で関西入りし、まず向かったのが姫路城。1346年に赤松貞範が築いたのが始まりとされ、その後戦国時代に黒田氏が拡張、1580年には豊臣秀吉が3層の天守を築いて近世城郭へと姿を変えました。現在の壮大な姿になったのは関ヶ原の戦い後、1601年から8年をかけて池田輝政が大改修を行った結果だそうです。1993年には法隆寺とともに日本で初めてユネスコ世界文化遺産に登録されています。

5重6階の大天守に3基の小天守が渡櫓で結ばれた連立式天守群は、現存12天守の中でも最大規模です。白漆喰総塗籠の優美な外観から「白鷺城」とも呼ばれるが、内部に入ると約997個ともいわれる狭間(さま)や石落とし、迷路のように入り組んだ曲輪など、防御のための仕掛けがそこかしこに残っていて、美しさと戦うための城としての顔の両方を見られるのが面白かったです。国宝の中を実際に歩き回れる貴重さを、あらためて実感しました。

世界遺産姫路城の鳥瞰図案内板と天守
世界遺産姫路城の鳥瞰図案内板と天守
国宝姫路城の門
「国宝姫路城」の門にて
見上げる姫路城天守群
見上げる大天守。白漆喰の壁が青空に映える
史蹟姫路城の碑と世界遺産登録30周年の幕
史蹟姫路城の碑。世界遺産登録30周年の幕も

湯郷温泉(1200年の歴史を持つ、美作三湯のひとつ)

姫路城から車で北へ走り、この日から2泊する宿は岡山県美作市の湯郷温泉「竹亭」。奥津温泉、湯原温泉とともに「美作三湯」に数えられる古湯で、1200年以上前、延暦寺の円仁法師が西国巡礼の途中、傷を癒す白鷺を見て湧き湯を見つけたという開湯伝説から「鷺の湯」とも呼ばれています。1990年代以降は歓楽温泉から健康リゾートへと姿を変え、女子サッカーチーム・岡山湯郷Belleの本拠地としても知られるようになったそうです。

「竹亭」は素泊まりだったので、夕食は宿の周辺で外食にしました。あえて地元のものを食べたくて、宿から少し歩いたお店へ。姫路城の国宝を丸ごと歩き回ったあとの足には、共同の足湯でひとやすみするのが気持ちよかったです。美肌の湯といわれる柔らかい湯に足をつけながら、1日目にしてすでに歩き疲れていた体を癒し、その後は温泉街を流れる川沿いを少し散策しました。翌日の竹田城・生野銀山に備えて、しっかり体を休めることができました。

宿泊した竹亭の外観
宿泊した「竹亭」の外観
湯郷温泉の足湯
共同の足湯でひとやすみ
湯郷温泉街の川沿い
温泉街を流れる川沿いにて

【2日目】天空の城・竹田城から、生野銀山・生野義挙碑へ

竹田城(山名氏が築いた総石垣の山城、雲海の名所)

2日目はこの旅のハイライトとも言える竹田城に丸一日をかけました。嘉吉3年(1443年)、但馬守護・山名宗全(持豊)が築き、太田垣光景が初代城主になったのが始まりと伝わります。当初は播磨と但馬の国境を守る拠点だったが、応仁の乱や赤松氏との対立を経て、16世紀には豊臣秀吉の進出で山名氏の支配は終わりました。その後、羽柴秀長が城代となり、赤松広秀(斎村政広)の代に総石垣の城郭として現在の姿に整備されたそうです。

標高353.7メートルの古城山の山頂に築かれたこの城は、円山川の川霧に霞むことから「天空の城」と呼ばれます。雲海に浮かび上がる石垣群の威容は写真で見て知っていたつもりだったが、実際に登ってその石垣の間を歩くと、山ひとつがそのまま城になっているスケール感に圧倒されました。この日は雲海には出会えなかったが、石垣だけの城跡だからこそ、往時の縄張りがそのまま浮き上がって見えるのが竹田城らしさだと思います。

国史跡竹田城跡の入口
「国史跡 竹田城跡」の入口にて
竹田城跡の石垣と山並み
石垣越しに広がる山並み
曲輪の石垣と雲行き
曲輪を巡る石垣。天候が変わりやすく、雲行きも一気に変化した
竹田城跡の石垣全景
石垣群の全景。「天空の城」の異名にふさわしいスケール

生野銀山(開坑1200年、佐渡・石見と並んだ幕府直轄の大鉱山)

竹田城のあとに立ち寄ったのが、同じ朝来市にある生野銀山。807年の開坑が伝えられるが詳細は不明で、確実な記録としては1542年、但馬守護大名・山名祐豊が石見銀山から灰吹法を導入し、本格的な採掘が始まったとされています。1577年には豊臣秀吉の侵攻を受け代官所が設置され、1598年には大量の銀を産出しました。1600年、徳川家康は生野を直轄地とし、佐渡金山、石見銀山とともに幕府の重要な財源としました。明治になるとフランス人技師ジャン・フランシスク・コワニエらの指導で近代化が進み、1896年に三菱合資会社に払い下げられたのち、1973年に閉山しています。

観光坑道(金香瀬坑)は思ったよりひんやりとした空気で、江戸時代の手掘りの跡と、近代化以降の機械化された坑道の跡が同じ坑内で見比べられるのが面白かったです。敷地内には不動滝という滝もあり、坑道歩きの後に緑と水音で一息つけました。

史跡生野銀山の入口
「史跡 生野銀山」の入口にて
生野銀山の不動滝
敷地内の不動滝

生野義挙碑・生野代官所跡(「維新の魁」と伝わる、幕末の生野の変の跡)

生野銀山からほど近い町の一角には、生野代官所跡(生野平城跡)と生野義挙碑が並んで立っています。現地の案内板によれば、天文11年(1542年)に山名祐豊が生野銀山経営の拠点として生野城を築城し、三層の天守閣や外堀、侍屋敷まで整備された城だったそうです。関ヶ原の戦いを経て銀山経営が徳川氏に帰属すると天守閣は取り崩されて代官所となり、明治維新後は生野県の県庁舎として使われたが、大正末期にはすべて取り壊されたそうです。

その跡地に立つ生野義挙碑は、文久3年(1863年)10月に起きた「生野の変(生野義挙)」を伝えるために昭和15年(1940年)に建てられたものです。尊王攘夷派の公卿・澤宣嘉を総帥に、平野国臣らが但馬の農民とともに生野代官所を占拠した事件で、大和の天誅組の壊滅を受けて「復讐すべし」という強硬派に押されての決行だったそうです。一時は2000人もの農民が集まる騒動になったが、わずか3日で総崩れとなり、平野国臣は捕らえられ翌年獄死しました。案内板には「生野の義挙は維新の魁(さきがけ)」という言葉が伝わっている、と記されていました。竹田城の壮大な石垣を見たあとに、幕末のこんな事件の跡が同じ朝来市内に残っているとは知らず、思いがけない収穫でした。

生野義挙碑
「生野義挙碑」の碑
生野義挙碑の解説板
生野の変の経緯を伝える案内板

2日目の夜も、湯郷温泉の「竹亭」に戻って連泊しました。1日目は外食だったが、この日は宿で夕食をいただきました。竹田城と生野銀山・生野義挙碑を1日で回った疲れに、宿の夕食がしみる美味しさで、翌日への元気をしっかり充電できました。

【3日目】津山城・赤穂城・明石城を巡り、明石焼きで締めて空港へ

津山城(日本三大平山城、桜の名所・鶴山公園)

3日目最初に訪れたのは津山城。森忠政が指揮して築城し、小倉城の天守を参考にしたと伝わり、4重5階地下1階の層塔型天守がそびえていたそうです。梯郭式の平山城として「日本三大平山城」のひとつに数えられ、かつては広島城の76棟、姫路城の61棟をしのぐ77棟もの櫓が建ち並んでいたというから、その規模には驚かされます。明治6年(1873年)の廃城令で建物の大半は取り壊されたが、石垣と礎石は今も残り、2002年から2006年には備中櫓と土塀が復元されました。

今は「鶴山公園」として桜の名所になっており、天守はないものの、圧倒的な高石垣が段状に積み重なる姿だけで、かつての巨大な城郭を十分に想像させてくれました。石垣は本当に圧巻で、この旅で見た石垣の中でも印象に残るスケールでした。

津山城の高石垣を登る
備中櫓へと続く高石垣の石段
木々の間から見える備中櫓
木々の間から見上げる備中櫓
津山城の石垣全景
段状に積まれた高石垣。かつて77棟の櫓が建ち並んだという
津山城跡にて
鶴山公園として整備された城跡にて

赤穂城(忠臣蔵で知られる、浅野家の城)

続いて向かったのが赤穂城。前身は池田長政が1600年に築いた掻上城で、現在の城は1645年に入封した浅野長直が1648年に幕府へ築城願を提出し着手、1661年に完成しました。江戸時代初期、戦乱の心配がなくなった「元和偃武」後に新たに築城された全国的にも珍しい城郭とされ、甲州流兵学者・近藤正純の縄張りに、山鹿素行が助言を加えたそうです。

浅野家は3代続いたが、3代目の長矩が1701年に江戸城内で吉良義央に斬りつけたことで改易となり、城は明け渡されました。翌1702年の元禄赤穂事件、家臣たちによる吉良邸討ち入りは「忠臣蔵」として今も語り継がれています。城跡を歩きながら、あの有名な物語の主君の城がここだったのかと、歴史の重みを実感しました。

赤穂城跡の門
「史跡 赤穂城跡」の門にて
赤穂城跡の石垣
本丸を囲む石垣

大石神社と義士の宅跡(忠臣蔵の四十七義士を祀る神社)

赤穂城の敷地内、かつて大石内蔵助の屋敷があった場所には、四十七義士を祀る大石神社が立っています。創建が許可されたのは1900年だが、資金難や反対運動で難航し、ようやく1910年に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工したそうです。祭神は大石良雄ら赤穂浪士47人に、討ち入り前に自害した萱野重実を加えた47士で、境内には赤穂義士の石像群が並んでいます。

城跡を歩いていると、「大石内蔵助良雄宅跡」「片岡源五右衛門宅跡」といった義士たちの屋敷跡の石碑がそこかしこに残っていて、忠臣蔵の物語がこの土地に実際にあった出来事なのだと実感させられました。討ち入りの主要人物たちが、まさにこの場所で暮らしていたことを示す碑を前にすると、物語の重みが少し変わって感じられました。大石神社では御朱印もいただきました。東京の泉岳寺には四十七士のお墓参りで訪れたことがあったが、こうして義士たちが実際に暮らし、討ち入りを決意した赤穂の地に立つと、泉岳寺で見た墓碑とはまた違う感慨があります。

大石内蔵助良雄宅跡の碑
「大石内蔵助良雄宅跡」の碑
片岡源五右衛門宅跡の碑と案内板
「片岡源五右衛門宅跡」の碑と案内板

明石城(天守を持たず、現存2櫓が残る西国の要)

この旅最後の城は明石城。1619年から1620年にかけて、徳川幕府が西国の外様大名を抑える目的で、姫路城に次いで重視した戦略的な城として築かれました。信濃松本藩主から明石藩主となった小笠原忠真が、義父である本多忠政と相談しながら築城から城下町の町割りまでを行い、剣豪・宮本武蔵も町割りの指導にあたったと伝わります。

天守は建てられず、四隅に4基の櫓が計画されたが、現存するのは南側の巽櫓(南東)と坤櫓(南西)の2棟のみ。いずれも国の重要文化財に指定されています。1日目に見た姫路城の巨大な天守群とは対照的な、天守を持たない城の静かな佇まいが印象的でした。

実はこの巽櫓、明石城よりも前にあった船上城の天守または櫓を移築したものと伝わっています。船上城を築いたのは、キリシタン大名として知られる高山右近。豊臣秀吉の命を受けて1585〜1586年に築城したが、1587年のバテレン追放令によって城主の地位を失い、追放されてしまいました。信仰を貫いて改易・追放されたキリシタン大名の歴史が、明石城の櫓という形でひっそりと今に伝わっているのだと知ると、見え方が変わってきます。高山右近のことを思いながら、あらためて巽櫓を見上げました。

史跡明石城跡の碑
「史跡 明石城跡」の碑。奥に坤櫓が見える
明石城の坤櫓
石垣の上にそびえる坤櫓
明石城の巽櫓と市街地の眺め
櫓の上から明石市街を見渡す
明石城の石垣を見上げる
天守台の高石垣を見上げて

明石焼き(たこ焼きのルーツとも言われる、明石の郷土料理)

3城を巡って締めの腹ごしらえに選んだのは、もちろん明石焼き(玉子焼き)。誕生の時期には諸説あり、1889〜1890年(明治22〜23年)頃という説もあれば、1964年に紹介された明石市川端通の店を発祥とする説もあるそうです。江戸時代の終わり頃から食べられていたとも言われ、実はたこ焼きよりも歴史が古く、たこ焼きのルーツのひとつという説もあるそうです。明石では卵の白身を使う「明石玉」という模造珊瑚の装飾品づくりが盛んで、余った卵の黄身を活用したことが誕生の背景にあるという説も興味深いです。

だし汁にくぐらせてふわとろの状態で食べる明石焼きは、たこ焼きとはまったく違う食感。出汁の効いた優しい味で、3日間、国宝から山城、忠臣蔵の城まで歩き回った体に、しみわたりました。

明石焼き
だし汁とともに供される明石焼き
明石焼きの盛り付け
ふわとろの明石焼き。3日間の締めにぴったり

実際に歩いて感じたこと

  • 移動は飛行機+車が効率的。成田から関西までを飛行機で短縮できたことで、3日間で5つの城を回るという強行日程が実現できた。関西空港・伊丹空港どちらを使うかで前後の移動距離が変わるので、宿の位置と合わせて検討するのがおすすめ。
  • 竹田城は雲海が出る時期・時間帯を要確認。雲海は主に秋から初冬の早朝に発生しやすいとされる。今回は石垣そのものの迫力を楽しんだが、雲海狙いなら時期と時間をしっかり調べてから行くとよい。
  • 姫路城は見応えがある分、時間に余裕を持つ。連立式天守群の内部は思った以上に広く、狭間や石落としなどの防御構造をじっくり見ていると1〜2時間はあっという間だった。
  • 湯郷温泉は移動の中継地点としてもちょうどいい。姫路と竹田城の間に位置し、2連泊にすれば竹田城・生野銀山の日は身軽に動ける。
  • 明石城は天守がない城の面白さを教えてくれる。姫路城の壮大な天守群と見比べると、同じ「国が重視した城」でも表現の仕方がまったく違うのがよくわかる。
  • 竹田城とセットで生野銀山・生野義挙碑も回ると発見が増える。同じ朝来市内に、江戸幕府直轄の大鉱山と幕末の志士たちの事件跡が残っていて、竹田城だけで終わらせるにはもったいないエリアだった。

振り返ってみると、かなり無理をした工程だったと思います。3日間でまたいだ県は、出発地の千葉県、玄関口になった大阪府、そして兵庫県、岡山県の4県。飛行機を使ったからこそ、これだけの県をまたいで、国宝姫路城の壮麗さから、雲海に浮かぶ竹田城と生野銀山・生野義挙碑、日本三大平山城・津山城の圧巻の石垣、忠臣蔵の舞台となった赤穂城と大石神社、キリシタン大名・高山右近の記憶を伝える明石城まで、同じ「城」でもまったく違う個性に一気に出会うことができました。

赤穂では、東京の泉岳寺に四十七士のお墓参りをしたことはあったが、実際に義士たちが暮らした赤穂の地に立つのは初めてで、感慨深いものがありました。湯郷温泉の宿「竹亭」も風情があって満足で、川沿いの散歩も含めて、あえて地元のものを食べたいと外食を選んだ1日目も含めて、食の面でも旅を楽しめました。最後の明石焼きは、だし汁の効いた優しい味で3日間の締めにぴったりでした。強行日程で足はパンパンになったが、それを差し引いてもとてもよい旅になりました。

この旅の道のり

  1. 1日目姫路城日本初の世界遺産、現存12天守最大の国宝車で約1時間20分
  2. 湯郷温泉1200年の歴史を持つ、美作三湯のひとつ一泊
  3. 2日目竹田城山名氏が築いた総石垣の山城、雲海の名所車で約30分
  4. 生野銀山開坑1200年、佐渡・石見と並んだ幕府直轄の大鉱山車ですぐ
  5. 生野義挙碑・生野代官所跡「維新の魁」と伝わる、幕末の生野の変の跡一泊
  6. 3日目津山城日本三大平山城、桜の名所・鶴山公園車で約1時間20分
  7. 赤穂城忠臣蔵で知られる、浅野家の城徒歩すぐ
  8. 大石神社と義士の宅跡忠臣蔵の四十七義士を祀る神社車で約1時間
  9. 明石城天守を持たず、現存2櫓が残る西国の要徒歩すぐ・明石焼き
  10. 明石焼きたこ焼きのルーツとも言われる、明石の郷土料理

※移動時間は一般的な所要時間の目安です。撮影時刻の記録が残っていないため、時刻は省いています。

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