金ヶ崎城跡は見学無料で、いつでも歩けます。登り口はふもとの金崎宮で、駐車場は金崎宮の無料駐車場(普通車30台)を使います。南北朝の戦いで新田義貞が立てこもった城、そして1570年に織田信長が朝倉攻めの途中で撤退した「金ヶ崎の退き口」の舞台です。

1. 基本情報(2026年10月時点)
| 見学料 | 無料(城跡・金崎宮とも) |
|---|---|
| 見学できる時間 | いつでも(山道の遊歩道なので、日没前に下りるのが安心) |
| 所在地 | 福井県敦賀市金ヶ崎町1-4(金崎宮) |
| 駐車場 | 金崎宮 普通車30台・バス5台(無料) |
| 電車・バスで | JR敦賀駅から「ぐるっと敦賀周遊バス」で約8分、「金崎宮」下車 |
| 車で | 北陸自動車道 敦賀ICから約10分 |
| 見学の目安 | 金崎宮と城跡をひと回りして1時間ほど(目安) |
2. 料金について
城跡も金崎宮も、見学にお金はかかりません。城跡は国の史跡(1934年指定)で、金崎宮の境内から続く遊歩道を歩いて見て回ります。資料館や入場券売り場はないので、歴史は現地の石碑と説明板で読むことになります。
3. 駐車場と行き方
車なら金崎宮の無料駐車場(普通車30台)に止め、境内から城跡へ上がります。城跡そのものには駐車場がありません。4月1日〜15日の金崎宮の「花換(はなかえ)まつり」と桜の時期は混み合うので、早めの時間がおすすめです。
電車なら、JR敦賀駅から「ぐるっと敦賀周遊バス」で約8分の「金崎宮」で降ります。敦賀の港めぐり(赤レンガ倉庫や人道の港 敦賀ムゼウム)と組み合わせやすい場所です。
4. 回り方と見どころ
金崎宮に参拝してから、裏手の遊歩道で城跡へ。木戸の跡ごとに説明板が立っていて、順に読んでいくと城の守り方がわかります。最後に本丸にあたる月見御殿跡まで上がると、眼下に敦賀湾が広がります。





金ヶ崎城の歴史 ― 二度、撤退と落城の舞台になった城
城の始まりは、平安時代の末に平通盛が木曾義仲に備えて築いたと伝えられています。
南北朝時代の延元元年(1336)10月、新田義貞は後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王を奉じてこの城に入りました。足利方に囲まれて兵糧が尽き、延元2年(1337)3月に落城します。尊良親王と義貞の子・新田義顕は城に火を放って自害しました。ふもとの金崎宮は、この二人の親王をまつる神社です。
それから230年あまりのちの元亀元年(1570)4月、越前の朝倉義景を攻めた織田信長は、隣の天筒山(手筒山)城を落とし、翌日に金ヶ崎城も開城させました。ところがその直後、妹お市の方の夫である浅井長政が朝倉方についたという知らせが入り、信長は挟み撃ちを避けて京へ引き返します。このとき城に残って追っ手を防ぐ殿(しんがり)を務めたのが、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)らでした。これが「金ヶ崎の退き口」です。
5. よくある質問
山登りの準備はいる?
本格的な登山ではありませんが、土の遊歩道で坂もあります。歩きやすい靴で行ってください。雨のあとは滑りやすくなります。
手筒山城も一緒に回れる?
天筒山(手筒山)は金ヶ崎城のすぐ東の山です。信長が最初に落とした城なので、時間と体力に余裕があれば合わせて見ると、1570年の戦いの流れがよくわかります。歩くなら山道になるので、行き方は現地の案内で確かめてください。
御城印はある?
金ヶ崎城の御城印は敦賀市内で頒布されています。頒布場所は変わることがあるので、敦賀観光協会などで確かめてください。
6. 金ヶ崎を回るモデルコース
- 合戦場をめぐる歴史旅モデルコース:関ヶ原・姉川・小谷城・賤ヶ岳から金ヶ崎へ(大阪発・車1泊2日)
▶ 同じ福井の城は一乗谷朝倉氏遺跡の入場料・駐車場、丸岡城の入場料・駐車場にまとめています。
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・金崎宮(旅する港町つるが 敦賀観光公式サイト)
・金ヶ崎城跡(ふくいドットコム)

